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2004年10月22日(金)
北朝鮮拉致の告発、県警が受理=53年失跡の徳永さん−長崎
1953年に行方不明となり、特定失踪(しっそう)者問題調査会が北朝鮮による拉致の可能性が高いとしている長崎市出身の徳永陽一郎さん=当時(18)=について、長崎県警は22日までに、家族が先月提出していた国外移送目的略取誘拐容疑の告発状を受理した。県警は警察庁などと連携しながら捜査を進める。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041022-00000398-jij-soci ●徳永 陽一郎(とくなが よういちろう) (当時18歳) 生年月日 :昭和10年(1935)1月14日 失踪年月日 :昭和28年(1953)10月7日 当時の身分 :染料店店員(配達) 当時の居住地:長崎県長崎市 失踪場所 :長崎市の家を出て 失踪当時の状況 :新しい仕事の話があり、履歴書を書いている途中で突然いなくなった。その履歴書に貼るための写真を店にとりに行く前に失踪した。10月7 日に門司から書留が届く。家族から借りていた1500円を返してきたもので「いい仕事があった」「歩いてでも帰ってきます」と書かれていた。 国家安全保衛部の元幹部。権革氏(クオンヒョク)の目撃証言 「書類によると、彼の名前はソン・ムソン。出生地はイルボン(日本)でイルボンサラム(日本人)と書かれていました。 年齢は50代前半。身長は180センチ近く、がっしりした体つきの男性でした。」 そう語るのは、99年脱北した国家安全保衛部の元幹部。権革氏(クオンヒョク)(44)である。 現在、日本政府が認定した北朝鮮による拉致被害者は15人。が、北にはいまも数多くの日本人が生活している。 本誌が入手した新たな拉致被害者の生存証言を紹介しよう。 これまで7人の日本人を北で目撃してきた権氏が今回、新たに二人の日本人の目撃証言をした。その一人である"ソン・ムソン"なる日本人を、権氏は顔写真などから、長崎市出身の徳永陽一郎さん(失踪当時18)と断定した。徳永さんは化学関係の会社への就職を目前に控えた'53年10月、突然行方不明となった。これまで発表された中で、もっとも古い特定失踪者だ。 「彼は'89年の10月、私が警備隊長をしていた22号管理所(政治犯収容所)に囚人として送られてきました。尋問で私は『この野郎!日本では何をしていた。北朝鮮でスパイ活動をするつもりだったんだろう!』と怒鳴りつけ、体重計の上に立たせて、『そこで回ってみろ!』と指示しました。そのとき、確か右腕に何か擦ったような傷跡があったのを記憶しています。『この傷はどうしたんだ』と聞くと、『ナガサキで傷をつけた』という。彼は『自分は何もしていない』といっていましたが、結局、収容所でも特に悪質な政治犯を管理する行営区域に送られました。その後、彼とは会っていません」 行営区域とは22号管理所内にある、数ある収容所の中でも最も重罪の囚人を収監する場所、管理所には、炭鉱・工場・農場があり、囚人は一日12時間もの重労働をさせられ、語るもの憚れるような非人間的な扱いをされているという。しかし、なぜ、徳永さんは行営区域に送られたのか。 「'90年の2月に、彼の長男という人物が人を介して、『父が元気でいるかどうか調べてほしい』と私に面会を求めてきたので会いました。 彼によると、徳永さんは北朝鮮の女性と結婚し、2男1女をもうけたそうです。彼が収容所に送られたのは酒席で『北より日本のほうが優れている』と言ったのを、保衛部員に聞かれ密告されたからだと聞きました。2カ月後、今度は、彼の次男が父親の様子を訊ねにきたので、収容所まで行きました。直接会えませんでしたが、所員に訊ねてみると、『病気もせず、いまも元気でやっている』とのことでした」 徳永さんの姉・洋子さんはこの情報を聞いて、驚きを隠しきれなかった。 「確かに陽一郎は右肩に3センチほどの、肉が盛り上がったような傷がありました。身長は180センチはなかったと思いますが、高校のときは柔道をしていましたし、大きく見えるかと思います。まさか生きていることはあるまいと、母が亡くなる2年ほど前に籍を抜いたんですが、もし、本当に陽一郎なら、元気でいてもらいたい。」(フライデー 2004年6/11号) |
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2004年09月25日(土)
特定失踪(しっそう)者問題調査会が「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」としている長崎市出身の徳永陽一郎さん=一九五三年失踪当時(18)=の姉、森川洋子さん(71)=同市中小島二丁目=や調査会のメンバーらが二十四日、長崎市万才町の県警本部を訪れ、国外移送目的略取誘拐容疑の告発状を提出した。県警は受理するかどうかを検討している。
告発状によると、五三年十月七日ごろ、何者かが長崎市内か福岡県内で、徳永さんを誘拐するなどし、密かに北朝鮮に移送した疑い。 北朝鮮に拉致された可能性が高い理由として、脱北した元収容所幹部の目撃証言がある。 元幹部によると、九八年から九九年まで、徳永さんとみられる男性を目撃。取り調べも行ったという。男性は友人との酒の席で「自分は拉致されてきた。日本に亡命する」などと口にしたのを密告され、収容所に入れられた。収容時の書類には、五四年か五五年に北朝鮮に来た日本人と記されていた。 森川さんによると、徳永さんの肩には傷があり、元幹部も男性の右肩に傷があるのを覚えていた。また、収容所を訪れた男性の息子が行方不明となった当時の徳永さんの写真にそっくりだと証言している。男性は北朝鮮で結婚し、息子二人と娘一人がいたという。 森川さんらは告発状を提出後、県庁で記者会見を開き、「早く警察や政府に動いてほしい」と問題解決を訴えた。失踪から半世紀。「小さいときに(徳永さんの肩の傷を)『目印ね』と冗談で言っていたのを覚えている」と森川さん。元幹部は「彼は、現在もなお収容所にいるだろう」と証言しており、家族は二十五日から予定されている日朝実務者協議の行方に期待を寄せている。 http://www.nagasaki-np.co.jp/news/index.html#02 ●徳永 陽一郎(とくなが よういちろう) (当時18歳) 生年月日 :昭和10年(1935)1月14日 失踪年月日 :昭和28年(1953)10月7日 当時の身分 :染料店店員(配達) 当時の居住地:長崎県長崎市 失踪場所 :長崎市の家を出て 失踪当時の状況 :新しい仕事の話があり、履歴書を書いている途中で突然いなくなった。その履歴書に貼るための写真を店にとりに行く前に失踪した。10月7 日に門司から書留が届く。家族から借りていた1500円を返してきたもので「いい仕事があった」「歩いてでも帰ってきます」と書かれていた。 国家安全保衛部の元幹部。権革氏(クオンヒョク)の目撃証言 「書類によると、彼の名前はソン・ムソン。出生地はイルボン(日本)でイルボンサラム(日本人)と書かれていました。 年齢は50代前半。身長は180センチ近く、がっしりした体つきの男性でした。」 そう語るのは、99年脱北した国家安全保衛部の元幹部。権革氏(クオンヒョク)(44)である。 現在、日本政府が認定した北朝鮮による拉致被害者は15人。が、北にはいまも数多くの日本人が生活している。 本誌が入手した新たな拉致被害者の生存証言を紹介しよう。 これまで7人の日本人を北で目撃してきた権氏が今回、新たに二人の日本人の目撃証言をした。その一人である"ソン・ムソン"なる日本人を、権氏は顔写真などから、長崎市出身の徳永陽一郎さん(失踪当時18)と断定した。徳永さんは化学関係の会社への就職を目前に控えた'53年10月、突然行方不明となった。これまで発表された中で、もっとも古い特定失踪者だ。 「彼は'89年の10月、私が警備隊長をしていた22号管理所(政治犯収容所)に囚人として送られてきました。尋問で私は『この野郎!日本では何をしていた。北朝鮮でスパイ活動をするつもりだったんだろう!』と怒鳴りつけ、体重計の上に立たせて、『そこで回ってみろ!』と指示しました。そのとき、確か右腕に何か擦ったような傷跡があったのを記憶しています。『この傷はどうしたんだ』と聞くと、『ナガサキで傷をつけた』という。彼は『自分は何もしていない』といっていましたが、結局、収容所でも特に悪質な政治犯を管理する行営区域に送られました。その後、彼とは会っていません」 行営区域とは22号管理所内にある、数ある収容所の中でも最も重罪の囚人を収監する場所、管理所には、炭鉱・工場・農場があり、囚人は一日12時間もの重労働をさせられ、語るもの憚れるような非人間的な扱いをされているという。しかし、なぜ、徳永さんは行営区域に送られたのか。 「'90年の2月に、彼の長男という人物が人を介して、『父が元気でいるかどうか調べてほしい』と私に面会を求めてきたので会いました。 彼によると、徳永さんは北朝鮮の女性と結婚し、2男1女をもうけたそうです。彼が収容所に送られたのは酒席で『北より日本のほうが優れている』と言ったのを、保衛部員に聞かれ密告されたからだと聞きました。2カ月後、今度は、彼の次男が父親の様子を訊ねにきたので、収容所まで行きました。直接会えませんでしたが、所員に訊ねてみると、『病気もせず、いまも元気でやっている』とのことでした」 徳永さんの姉・洋子さんはこの情報を聞いて、驚きを隠しきれなかった。 「確かに陽一郎は右肩に3センチほどの、肉が盛り上がったような傷がありました。身長は180センチはなかったと思いますが、高校のときは柔道をしていましたし、大きく見えるかと思います。まさか生きていることはあるまいと、母が亡くなる2年ほど前に籍を抜いたんですが、もし、本当に陽一郎なら、元気でいてもらいたい。」(フライデー 2004年6/11号) |
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1953年10月07日(水)
●徳永 陽一郎(とくなが よういちろう)
生年月日 :昭和10年(1935)1月14日 失踪年月日 :昭和28年(1953)10月7日 失踪当時の年齢 19歳 当時の身分 :染料店店員(配達) 当時の居住地:長崎県長崎市 失踪場所 :長崎市の家を出て 失踪当時の状況 :新しい仕事の話があり、履歴書を書いている途中で突然いなくなった。その履歴書に貼るための写真を店にとりに行く前に失踪した。10月 7日に門司から書留が届く。家族から借りていた1500円を返してきたもので「いい仕事があった」「歩いてでも帰ってきます」と書かれていた。(04/05/22第5次発表) |
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