山田建治さん
 
  • 生年月日:1949年1月22日
  • 失踪時期:1979年12月18日
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■基本情報


特定失踪者、同級生が真相究明活動
 特定失踪者問題調査会が北朝鮮による拉致の可能性が高いと公表している高岡市福岡町の山田建治さんについて小中学校の同級生が中心となり、真相究明を求める活動を始めます。

 まずは今月30日に集会を開いて、理解と支援を求めます。

 山田建治さん、失踪当時30歳です。

 今から27年前の昭和54年12月18日に旧福岡町の自宅から車で出勤した後、行方がわからなくなりました。

その後、勤務先近くの高岡市国分浜で山田さんの車が発見されました。

 キーはついたままで財布や免許証なども残されていました。

 北朝鮮による拉致問題を調べている特定失踪者問題調査会は、失踪した状況などから、山田さんは「拉致された可能性が濃厚」と発表し、これを受けて家族は、おととし9月、容疑者不詳のまま国外移送目的略取誘拐の疑いで県警察本部に刑事告発しました。

 その後1年半近くが過ぎましたが、山田さんの安否に関わる有力な情報はありません。

 山田さんの失踪を巡ってはこれまで母親のゆりさんや親族が中心となって、真相究明の活動を続けてきました。

 しかし、ゆりさんが80歳を超え親族も高齢化していることから、今後は、同級生が中心となって活動を支えようとしています。

 その具体的な取り組みが山田さんの地元、旧福岡町で今月30日に開く特定失踪者についての集会です。

 集会には、特定失踪者問題調査会の荒木和博代表も出席し、山田さん失踪事件の真相究明と活動への理解を求める予定です。

 さらに7月17日に高岡市民会館で拉致の疑いが濃厚な県内の失踪者を対象にした大会も計画していて、他の家族や支援者と連携し、一日も早い解決をめざしたいとしています。

 山田建治さんの失踪をめぐっては、8日の高岡市議会一般質問で、青木紘議員が質問をする予定です。

http://www2.knb.ne.jp/news/20060306_6354.htm#



| 1000番台::山田建治 | 01:19 AM | comments (0) | trackback (0) |

1979年12月18日 山田建治さん失踪
1979(昭和54)年12月18日朝。「行ってきます」。石川県境まで約10キロの小矢部川沿い。富山県福岡町荒屋敷、会社員、山田建治さん(当時29 歳)はそう言って、いつものように自宅を出た。母ゆりさん(79)の手作りの弁当を持って、勤めていた同県高岡市伏木のドラム缶工場へ車で向かった。
 
 2日ほどして会社から「無断欠勤している」と連絡が入った。約1週間後、富山湾に面したJR越中国分駅(高岡市)近くの農道に、乗っていた四輪駆動車が放置されているのが見つかった。鍵はさしたまま。車内に約3万円が入った財布と免許証、空の弁当箱、ぬれたトレーニングシャツ、靴などが残されていた。
 
 仕事帰りにいつも、その付近に車を止め、海岸でランニングをしていたという。家族や親類は1週間以上かけて周辺を捜索。漁船で海上も捜したが、手掛かりは見つからなかった。 前年の8月15日。すぐ北隣の雨晴海岸で、浜辺を散歩していた若い男女2人が、4人組の男に袋詰めにされ連れ去られそうになる「アベック拉致未遂事件」が発生。現場には、北朝鮮製とみられるゴム製のさるぐつわなどが残されていた。「建治さんも北朝鮮に連れ去られたに違いない」とのうわさもあったが、当時は取り合ってもらえなかった。約7年後、ゆりさんは遺影と法名を作り、「もう死んでしまったのでは」と、息子への気持ちを抑えようとした。 
 
 しかし02年10月に拉致被害者5人が帰国。「もしかしたら建治も浜辺をランニング中に拉致されたのでは」。そう思い、小矢部署に捜索願を出し直し、特定失踪(しっそう)者問題調査会に連絡した。調査会は先月21日、現場が前年のアベック拉致未遂事件現場に近く、車が放置されているなど他のケースとの類似性から「拉致の可能性が高い」と発表した。 
 
 父武雄さんは、建治さん失跡の翌年、亡くなった。亡くなる直前、ゆりさんに「生きとるよ。あきらめるな」と言い残した。親類の奥田久さん(63)は、武雄さんから言われた「建治が帰って来るまで家を守ってくれよ」との言葉が今も忘れられない。 
 
 ゆりさんは毎日、朝夕の2回、仏壇の建治さんの写真に向かって「元気で生きとれよ。頑張れよ」と祈る。再会を願い、好物だったバナナを供えるのも日課となった。「頭のいい子。失跡する理由が見当たらず、拉致されたんだと思う。せめて生きていることさえ分かればそれでいい。できることはした。後は政府に頼るしかない。私はもう年だ。一日も早く安否を知りたい」と、やり切れない胸の内を語る。 
 
 奥田さんは「当時を知る家族は高齢化する一方だ」と話す。「首相再訪朝に期待していたのに。政府は北朝鮮に強い態度で交渉し、すべての拉致被害者を早急に取り戻すべきだ。いつになったら真相解明は進むのか。家族は精神的にも体力的にも、もう限界だ」 (毎日新聞・富山)
 


山田さんが毎日ジョギングをしていたという海岸からわずか4k離れた雨晴海岸は、朝鮮総連の元幹部が上陸ポイントとして下見をしたという場所で、山田さん失踪の1年前の8月15日、ここで「富山アベック拉致未遂事件」が起きている。このアベック拉致未遂事件の手口はその2週間前、柏崎での蓮池さん拉致事件の手口と似ている。
山田さんの車が発見された場所から20メートルの場所にある越中国分駅では、失踪から2年後の1981年3月、偽造したと見られる「外国人登録証」を携帯していた男が見つかっている。「韓国人」を名乗ったが、不審な点があるため警察はいったん、ホテルに宿泊させ、翌日取り調べようとした。しかし翌朝男はホテルから飛び降り、自殺した。その際、「金日成 万歳」と叫んだとも言われている。
また山田さんの車が発見された近くの丘から沖合に向かってライトがモールス信号のように点滅しているのを見かけた住人がいる。当時、この付近では漁師に「不審な船を見かけたら警察か海上保安庁に連絡するように」との通達が回っていた。山田さん失踪後、同級生の間では「北朝鮮にさらわれたのではないか」と噂されていたという。それほど、北朝鮮の影が濃厚な場所だったのである。



1979年
●山田 建治(やまだ けんじ)  
生年月日  :昭和24(1949)年1月22日
失踪年月日 :昭和54(1979)年12月18日
失踪当時の年齢 30歳
当時の身分 :ドラム缶工場勤務
当時の居住地 :富山県西礪波郡福岡町
失踪場所  :福岡町の自宅から高岡市の勤務先への通勤途上
失踪当時の状況 :車で出勤途中に失踪。1週間後越中国分駅の海側で車(三菱ジープJ−54)がキーをさしたまま放置されているのがみつかる。車内に運転免許証、財布、空の弁当箱が残されていた。
富山県高岡市の雨晴海岸では、山田さん失踪前年の78年8月15日にアベック拉致未遂事件が起きている場所であること、山田さんの勤務先のドラム缶工場がその現場に近いこと、失踪付近で海に向かって発着信号が送られていることが目撃されていること、また失踪の形態や車が放置されている状況など、他の失踪との類似性から判断した。(04/05/22第5次発表)

| 1000番台::山田建治 | 10:18 AM | comments (0) | trackback (0) |

拉致濃厚富山県内2家族が刑事告発(山田建治)
 北朝鮮に拉致された可能性のある失踪(しっそう)者の行方を調べる民間機関「特定失踪者問題調査会」が「拉致の疑いが濃厚」と公表している人のうち、入善町の屋木しのぶさん=昭和四十三年、当時(19)=と、福岡町の山田建治さん=同五十四年、同(30)=の家族が来月二十八日、容疑者不詳の国外移送目的略取誘拐容疑で県警に刑事告発する。 拉致の疑いが濃厚とされている他の十四人の家族らと一斉に行う。

 同調査会に依頼のある失踪者のうち、拉致濃厚者は計三十二人。 これまでに十六人の家族らが全国の県警などに告訴、告発している。屋木さんは昭和四十三年一月中旬、入善町新屋の叔母の家を訪問。夕方にバス停に向かった後、姿を消した。山田さんは五十四年十二月、自宅から高岡市の会社に出勤途中、行方不明になった。

 県内では、自宅近くの海岸で行方不明になった朝日町宮崎の水島慎一さん=同四十三年、同(18)=の弟・嘉導さんが今年一月、同容疑で県警に刑事告発。このほか、新湊市の荒谷敏生さん=同四十九年、同(25)=と、公表していない一人について、同調査会に調査依頼がある。 (北日本新聞8/27)

一斉告発日程決定
 1000 番台リスト32人のうち、まだ告発を行っていない16人について、法律家の会(木村晋介・藤野義昭共同代表)では9月28日(火)に行うこととなりました。すでに各案件についての担当弁護士も決定しています。今後調査会と連携をとりながら告発状の作成に取り掛かる予定です。(特定失踪者問題調査会ニュース)


1979年
山田 建治(やまだ けんじ)  
生年月日  :昭和24(1949)年1月22日
失踪年月日 :昭和54(1979)年12月18日
失踪当時の年齢 30歳
当時の身分 :ドラム缶工場勤務
当時の居住地 :富山県西礪波郡福岡町
失踪場所  :福岡町の自宅から高岡市の勤務先への通勤途上
失踪当時の状況 :車で出勤途中に失踪。1週間後越中国分駅の海側で車(三菱ジープJ−54)がキーをさしたまま放置されているのがみつかる。車内に運転免許証、財布、空の弁当箱が残されていた。
富山県高岡市の雨晴海岸では、山田さん失踪前年の78年8月15日にアベック拉致未遂事件が起きている場所であること、山田さんの勤務先のドラム缶工場がその現場に近いこと、失踪付近で海に向かって発着信号が送られていることが目撃されていること、また失踪の形態や車が放置されている状況など、他の失踪との類似性から判断した。(04/05/22第5次発表)

山田さん失踪の前年、昭和53年(1978年)の「アベック拉致未遂事件」は、蓮池さんご夫妻、地村さんご夫妻の失踪が「拉致」であることを強く示唆した事件であった。「建治さんも北朝鮮に連れ去られたに違いない」とのうわさもあったが、当時は取り合ってもらえなかった。父、武雄さんは、建治さん失跡の翌年、亡くなった。亡くなる直前、母、ゆりさんに「生きとるよ。あきらめるな」と言い残した。約7年後、ゆりさんは遺影と法名を作り、「もう死んでしまったのでは」と、息子への気持ちを抑えようとした。しかし02年10月に拉致被害者5人が帰国。「もしかしたら建治も浜辺をランニング中に拉致されたのでは」。そう思い、小矢部署に捜索願を出し直し、特定失踪(しっそう)者問題調査会に連絡した。ゆりさんは毎日、朝夕の2回、仏壇の建治さんの写真に向かって「元気で生きとれよ。頑張れよ」と祈る。再会を願い、好物だったバナナを供えるのも日課となった。「頭のいい子。失跡する理由が見当たらず、拉致されたんだと思う。せめて生きていることさえ分かればそれでいい。できることはした。後は政府に頼るしかない。私はもう年だ。一日も早く安否を知りたい」
 

| 1000番台::山田建治 | 06:32 PM | comments (0) | trackback (0) |

[止まったままの時間] 山田建治さん
 1979(昭和54)年12月18日朝。「行ってきます」。石川県境まで約10キロの小矢部川沿い。富山県福岡町荒屋敷、会社員、山田建治さん(当時30歳)はそう言って、いつものように自宅を出た。母ゆりさん(79)の手作りの弁当を持って、勤めていた同県高岡市伏木のドラム缶工場へ車で向かった。
 
 2日ほどして会社から「無断欠勤している」と連絡が入った。約1週間後、富山湾に面したJR越中国分駅(高岡市)近くの農道に、乗っていた四輪駆動車が放置されているのが見つかった。鍵はさしたまま。車内に約3万円が入った財布と免許証、空の弁当箱、ぬれたトレーニングシャツ、靴などが残されていた。
 
 仕事帰りにいつも、その付近に車を止め、海岸でランニングをしていたという。家族や親類は1週間以上かけて周辺を捜索。漁船で海上も捜したが、手掛かりは見つからなかった。 前年の8月15日。すぐ北隣の雨晴海岸で、浜辺を散歩していた若い男女2人が、4人組の男に袋詰めにされ連れ去られそうになる「アベック拉致未遂事件」が発生。現場には、北朝鮮製とみられるゴム製のさるぐつわなどが残されていた。「建治さんも北朝鮮に連れ去られたに違いない」とのうわさもあったが、当時は取り合ってもらえなかった。約7年後、ゆりさんは遺影と法名を作り、「もう死んでしまったのでは」と、息子への気持ちを抑えようとした。 
 
 しかし02年10月に拉致被害者5人が帰国。「もしかしたら建治も浜辺をランニング中に拉致されたのでは」。そう思い、小矢部署に捜索願を出し直し、特定失踪(しっそう)者問題調査会に連絡した。調査会は先月21日、現場が前年のアベック拉致未遂事件現場に近く、車が放置されているなど他のケースとの類似性から「拉致の可能性が高い」と発表した。 
 
 父武雄さんは、建治さん失跡の翌年、亡くなった。亡くなる直前、ゆりさんに「生きとるよ。あきらめるな」と言い残した。親類の奥田久さん(63)は、武雄さんから言われた「建治が帰って来るまで家を守ってくれよ」との言葉が今も忘れられない。 
 
 ゆりさんは毎日、朝夕の2回、仏壇の建治さんの写真に向かって「元気で生きとれよ。頑張れよ」と祈る。再会を願い、好物だったバナナを供えるのも日課となった。「頭のいい子。失跡する理由が見当たらず、拉致されたんだと思う。せめて生きていることさえ分かればそれでいい。できることはした。後は政府に頼るしかない。私はもう年だ。一日も早く安否を知りたい」と、やり切れない胸の内を語る。 
 
 奥田さんは「当時を知る家族は高齢化する一方だ」と話す。「首相再訪朝に期待していたのに。政府は北朝鮮に強い態度で交渉し、すべての拉致被害者を早急に取り戻すべきだ。いつになったら真相解明は進むのか。家族は精神的にも体力的にも、もう限界だ」 (毎日新聞・富山)
 
http://itp.ne.jp/topics/mainichi/16_02.html



1979年
●山田 建治(やまだ けんじ)  
生年月日  :昭和24(1949)年1月22日
失踪年月日 :昭和54(1979)年12月18日
失踪当時の年齢 30歳
当時の身分 :ドラム缶工場勤務
当時の居住地 :富山県西礪波郡福岡町
失踪場所  :福岡町の自宅から高岡市の勤務先への通勤途上
失踪当時の状況 :車で出勤途中に失踪。1週間後越中国分駅の海側で車(三菱ジープJ−54)がキーをさしたまま放置されているのがみつかる。車内に運転免許証、財布、空の弁当箱が残されていた。
富山県高岡市の雨晴海岸では、山田さん失踪前年の78年8月15日にアベック拉致未遂事件が起きている場所であること、山田さんの勤務先のドラム缶工場がその現場に近いこと、失踪付近で海に向かって発着信号が送られていることが目撃されていること、また失踪の形態や車が放置されている状況など、他の失踪との類似性から判断した。(04/05/22第5次発表)

| 1000番台::山田建治 | 02:05 AM | comments (0) | trackback (0) |

山田建治さん 基本情報
●山田 建治(やまだ けんじ)  
生年月日  :昭和24(1949)年1月22日
失踪年月日 :昭和54(1979)年12月18日
失踪当時の年齢 30歳
当時の身分 :ドラム缶工場勤務
当時の居住地 :富山県西礪波郡福岡町
失踪場所  :福岡町の自宅から高岡市の勤務先への通勤途上
失踪当時の状況 :車で出勤途中に失踪。1週間後越中国分駅の海側で車(三菱ジープJ−54)がキーをさしたまま放置されているのがみつかる。車内に運転免許証、財布、空の弁当箱が残されていた。
富山県高岡市の雨晴海岸では、山田さん失踪前年の78年8月15日にアベック拉致未遂事件が起きている場所であること、山田さんの勤務先のドラム缶工場がその現場に近いこと、失踪付近で海に向かって発着信号が送られていることが目撃されていること、また失踪の形態や車が放置されている状況など、他の失踪との類似性から判断した。(04/05/22第5次発表)



迷宮の扉

| 1000番台::山田建治 | 03:40 AM | comments (0) | trackback (0) |

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