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2006年07月21日(金)
北朝鮮による拉致問題で、特定失踪(しっそう)者問題調査会の拉致認定を受けた浜松市出身の河嶋功一さん=失踪当時(23)=の母親の愛子さん(72)らが20日夜、同市内で会見し、河嶋さんの情報を求めて9日から12日まで韓国を訪れたことを明らかにした。「河嶋さんに似た人物が写っている」として、6月中旬に寄せられた写真の真偽を確かめるのが主な目的で、現地での鑑定の結果、「河嶋さんのものではない可能性が高い」と判断されたという。
訪韓したのは愛子さんや「河嶋功一君を探す会」の脊古道大会長(58)ら4人。写真には40代ぐらいの男性が写っていて、以前に調査会に持ち込まれて日本の専門家が「同一人物ではない可能性が高い」との見方を示した写真と同じものという。韓国の民間脱北者管理団体の事務局長に鑑定を頼んだが、顔の部位の形などから日本の専門家と同じ判断が示された。 一行はソウル市などで現地の報道関係者や拉致被害者家族会、脱北者ら10人前後と会談し、情報交換を図ったり北朝鮮向け短波放送の録音に臨んだりもした。 愛子さんは訪問の理由を「体が動くうちに韓国に行き、何度も寄せられる写真の真偽を知りたかった」と説明。「偽物の可能性が高いと分かり、韓国に行った成果はあったと思う。今後も子供が帰って来るまで一歩一歩活動を続けたい」と強い決意をにじませた。(静岡新聞) http://www.shizushin.com/local_social/20060721000000000041 河嶋さん家族が訪韓 特定失踪者家族では初 北朝鮮に拉致された疑いが強い浜松市出身の男性を支援する「河嶋功一さんを探す会」が少しでも拉致情報を得ようと韓国を訪問し、その報告会見を開きました。韓国を訪れたのは河嶋功一さんの母親愛子さんと、探す会会長の脊古道大さんです。日本国内で拉致されたと思われる特定失踪者の家族の韓国訪問は初めてです。2人は今月9日から12日まで韓国を訪れ、功一さんと思われる写真の鑑定や元北朝鮮の最高幹部の一人ファン・ジャンヨプ氏と面会しましたが功一さんにつながる有力な情報は得られませんでした。20日、自宅で会見を開いた愛子さんは「これからも協力して一歩一歩、子供が帰るまで活動していきたい」と話しました。(SBS) http://www.digisbs.com/newsilocal/20060721000000000053.htm 「日本国内で拉致されたと思われる特定失踪者の家族の韓国訪問は初めてです。」というのは間違い。渋谷区で失踪した生島孝子さんのお姉さんや、米子市で失踪した松本京子さんのお兄さんも訪韓して、それぞれ目撃証言をした脱北者と面会している。 河島功一さんの家族と支援グループは、北朝鮮から韓国に逃れてきた「脱北者」からの情報提供を視野に入れて、2005年6月に韓国最大の日刊紙「朝鮮日報」に河島さんの写真入りの広告を掲載した。広告には朝鮮語で河島さんが1982年3月21日に横浜市内で失踪したことや河島さんの友人に「北朝鮮に行く」という内容の電話がかかってきたことが紹介されている。 |
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2005年06月16日(木)
北朝鮮によって拉致された疑いが強いとされる浜松市出身の河島功一さんの家族と支援グループは、北朝鮮から韓国に逃れてきた「脱北者」からの情報提供を視野に入れて韓国最大の日刊紙「朝鮮日報」に河島さんの写真入りの広告を掲載しました。広告には朝鮮語で河島さんが1982年3月21日に横浜市内で失踪したことや河島さんの友人に「北朝鮮に行く」という内容の電話がかかってきたことが紹介されています。「朝鮮日報」は238万部を発行する韓国最大の日刊紙です。
http://db5.ci-center.net/~satv/satv_news/list02.php?news_01=20050613 【関連記事】 調査会によると、五十七年三月ごろ、この年五月に予定されていた中学時代の同窓会幹事の自宅に、河嶋さんを名乗る男性から電話があった。その男性は「北朝鮮に研修、研究に行く」と話したといい、幹事が「元気で頑張れ」と言うと、何も言わずに電話が切れたという。 通話時間は三、四分。駅の公衆電話からかけている様子で、電車の音やアナウンスが聞こえていた。小銭を入れる音がひっきりなしに聞こえ、途中で受話器を置いているような状態になっていたため、幹事の印象では一人でいる雰囲気ではなかったらしい。 この証言を検討した上で、調査会では「拉致の疑いが濃厚」と認定した。 認定理由として、調査会の真鍋貞樹専務理事は証言のほか、拉致以外に失踪理由がない▽人生の転機に失踪していることや、大学時代にロボットアームを研究していた技術者であることなど、他の拉致事件と共通点が多い−といった点を挙げている。 河嶋さんが行方不明になったのは、五十七年三月二十一日。関東学院大学卒業後、浜松市内の自動車関連会社に就職することに伴う引っ越しを手伝うため、両親がこの日、横浜市金沢区の下宿先を訪れた。引っ越し作業終了後、両親はトラックで、河嶋さんは電車で帰る予定だったが、河嶋さんはそのまま行方不明になった。 両親と別れる際、河嶋さんは「会いたい人がいる」と話したが、両親が「浜松にいったん帰ってから、後でまた会いに行けばいい」と言うと、納得して駅に向かった。この後、河嶋さんが下宿に戻り、大家に「浜松に帰りたくない」と語ったという証言もあると、調査会では指摘している。 両親は平成十五年一月、調査会に連絡。調査会は二月に「北朝鮮による拉致の可能性が完全に排除できない失踪事件」として発表した。四月には、高校時代の同級生が中心となり、「河嶋功一君を探す会」を結成。同窓会などで情報提供を呼びかけたところ、同窓会幹事から証言が寄せられた。 河嶋さんに関する情報提供は探す会の片山隆康事務局長(TEL090・8866・2852)まで。 ■河嶋功一(かわしまこういち)昭和33(1958)年5月5日生、関東学院大学を卒業した昭和57(1982)年3月22日、実家のある浜松で就職する直前、下宿を引き払うため両親が横浜市の下宿へ荷物を取りに行き、本人は電車で浜松に帰ると言って出たまま失踪。当時小雨で傘一本、電車代と本人の小遣い程度しか持っていない。本件に関しても基本的には他の理由による失踪が考えられないことと、失踪の何日か前に特に親しかったわけでない友人に「北朝鮮に行く」という電話をかけている。内容は一方的なもので、電話を受けた友人も違和感を感じた。その他各種の要件を総合的に検討して判断した。 |
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2005年05月26日(木)
23年前から行方不明になり特定失踪者問題調査会により北朝鮮による拉致の疑いが強いとされている浜松市出身の男性の家族などが25日東京の平沼赳夫拉致議連会長を訪ね、「政府も早く拉致認定」をと訴えた。浜松市出身の河嶋功一さんは、大学の卒業式の翌日1982年3月21日に横浜市の下宿を引き払い浜松市へ帰る途中、行方が分からなくなった。北朝鮮による拉致被害者を支援する「特定失踪者問題調査会」は、河嶋さんを拉致された疑いが強いとして去年3月、拉致認定している。
25日、河嶋さんの浜松市に住む家族や、「探す会」の代表が拉致議連会長の平沼赳夫議員を訪ねた。河嶋さんが行方不明になった後、何者かが横浜市金沢区に転出転入手続きをした当時の住民票を示し「これだけ不思議な証拠もある。政府も早く拉致認定をしてほしい。」と訴えた。これに対し平沼会長は「真剣にこの問題に取り組み少しでも役に立ちたい」と応えた。 http://www.shizushin.com/local_social/20050525185208.htm 河嶋さん両親が自民党に陳情 「特定失踪者問題調査会」が北朝鮮に拉致された可能性が高いと発表した浜松市出身の河嶋功一さんの両親らが25日、自民党本部を訪れ支援を訴えました。 25日夕方、自民党本部を訪れた河嶋さんの家族らは、安倍晋三 幹事長代理と面会して情報収集と政府による「拉致被害者」の認定に向けて支援を求めました。これに対し安倍幹事長代理は、「特定失踪者問題に対し党として積極的に取り組んでいきたい」などと応えました。 http://www.tv-sdt.co.jp/scripts/news/news3+.php?seq=3385 【関連記事】 特定失踪者一斉告発:河嶋功一さん http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3097 ■河嶋功一(かわしまこういち)昭和33(1958)年5月5日生、関東学院大学を卒業した昭和57(1982)年3 月22日、実家のある浜松で就職する直前、下宿を引き払うため両親が横浜市の下宿へ荷物を取りに行き、本人は電車で浜松に帰ると言って出たまま失踪。当時小雨で傘一本、電車代と本人の小遣い程度しか持っていない。本件に関しても基本的には他の理由による失踪が考えられないことと、失踪の何日か前に特に親しかったわけでない友人に「北朝鮮に行く」という電話をかけている。内容は一方的なもので、電話を受けた友人も違和感を感じた。その他各種の要件を総合的に検討して判断した。 |
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2005年03月26日(土)
一九八二(昭和五十七)年三月に行方不明となり、北朝鮮による拉致問題を調査する特定失踪(そう)者問題調査会が「拉致の疑いが濃厚」としている浜松市出身の河嶋功一さん=失踪当時(23)=の父孝浩さん(77)=浜松市西山町=ら家族が二十五日、同市内で「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」代表の横田滋さん(72)と妻の早紀江さん(69)に初めて面会した。家族は、河嶋さんが消息を絶った後の“空白の二十三年”を振り返りながら、真相究明への協力を強く求めた。
横田さん夫妻と面会したのは、孝浩さんと母愛子さん(71)、妹智津子さん(45)。 三人は「『どこへ行ってしまったんだ』『家族を捨ててしまったのか』という思いに苦しむ日々が長く続いた」「拉致の疑いが高まってからは『真実を知りたい』という気持ちがさらに強くなった」と率直な心境を吐露した。 こうした言葉に対し、早紀江さんが「(どこかで生きているはずの)功一さんもさぞかし悔しいでしょう」とハンカチで目頭を押さえ、声を詰まらせる場面もあった。滋さんは「現実的には、政府が正式に認定しなければ、北朝鮮も本気になって対応することはない。問題解決のため、互いに手を携えていきましょう」と三人を激励した。 面会後、孝浩さんは「拉致問題に対する二人の変わらぬ熱意に触れ、とても勇気づけられた」、愛子さんは「これからの活動への大きな励みになった」と述べた。同席した「河嶋功一君を探す会」の脊古道大会長も「政府の認定を得られるよう、家族の取り組みを支援していく」と気持ちを新たにしていた。 河嶋さんは、八二年三月二十一日朝、横浜市の下宿先から浜松市の実家に引っ越すための荷造りを孝浩さんらとともに終え、一人で下宿先を出たのを最後に行方が分からなくなった。孝浩さんは昨年九月、容疑者不詳のままで国外移送目的略取容疑での告発状を静岡県警に提出、受理されている。 http://www.chunichi.co.jp/00/siz/20050326/lcl_____siz_____000.shtml ■関連記事 「特定失踪者救おう」 浜松出身の河嶋功一さん「探す会」世論盛り上げ訴え http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=3746 浜松市出身の河嶋功一さん拉致 http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=2022 |
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2005年03月15日(火)
23年前に失踪(しっそう)し、特定失踪者問題調査会が「拉致の可能性が濃厚」と認定した浜松市出身の河嶋功一さん=失踪当時(24)=の救出を目指している同市の「探す会」(会長・脊古道大前浜松日体高同窓会長)が13日、同市内で同調査会代表の荒木和博拓殖大教授を迎えた講演会を開いた。
河嶋さんをはじめとする特定失踪者問題に関心を寄せてもらい、解決に向けた世論を形成するのが狙い。河嶋さんが卒業した浜松日体高の同窓生や一般市民らが参加した。 荒木代表は「拉致問題は日本海側など限られた地域で限られた時期に起きた問題ではない。拉致されたとみられる人は全国にいる」「日本国民の生命がおびやかされているという点では、北朝鮮と戦争状態にあるといっても過言ではない」などと指摘。その上で、日本主導でアメリカを巻き込み、解決に動くことが、拉致問題のみならずアジアの安定につながるとの見通しを示した。 さらに、「拉致被害者の蓮池薫さんらを帰国に導いたのは、この問題を世に問うた横田滋さんの勇気と世論の後押し。特定失踪者の救出に向け、いま一度世論を盛り上げ、政府を動かしたい」と、国民の認識の高まりが失踪者問題の解決に不可欠であることを強調した。 舞阪町に住む河嶋さんの妹智津子さん(45)は「1人でも多くの人に兄のことを知っていただきたい。皆さんの力を借りて兄を救い出したい」と参加者にあらためて協力を求めた。 http://www.shizushin.com/local_social/20050315000000000017.htm 調査会によると、五十七年三月ごろ、この年五月に予定されていた中学時代の同窓会幹事の自宅に、河嶋さんを名乗る男性から電話があった。その男性は「北朝鮮に研修、研究に行く」と話したといい、幹事が「元気で頑張れ」と言うと、何も言わずに電話が切れたという。 通話時間は三、四分。駅の公衆電話からかけている様子で、電車の音やアナウンスが聞こえていた。小銭を入れる音がひっきりなしに聞こえ、途中で受話器を置いているような状態になっていたため、幹事の印象では一人でいる雰囲気ではなかったらしい。 この証言を検討した上で、調査会では「拉致の疑いが濃厚」と認定した。 認定理由として、調査会の真鍋貞樹専務理事は証言のほか、拉致以外に失踪理由がない▽人生の転機に失踪していることや、大学時代にロボットアームを研究していた技術者であることなど、他の拉致事件と共通点が多い−といった点を挙げている。 河嶋さんが行方不明になったのは、五十七年三月二十一日。関東学院大学卒業後、浜松市内の自動車関連会社に就職することに伴う引っ越しを手伝うため、両親がこの日、横浜市金沢区の下宿先を訪れた。引っ越し作業終了後、両親はトラックで、河嶋さんは電車で帰る予定だったが、河嶋さんはそのまま行方不明になった。 両親と別れる際、河嶋さんは「会いたい人がいる」と話したが、両親が「浜松にいったん帰ってから、後でまた会いに行けばいい」と言うと、納得して駅に向かった。この後、河嶋さんが下宿に戻り、大家に「浜松に帰りたくない」と語ったという証言もあると、調査会では指摘している。 両親は平成十五年一月、調査会に連絡。調査会は二月に「北朝鮮による拉致の可能性が完全に排除できない失踪事件」として発表した。四月には、高校時代の同級生が中心となり、「河嶋功一君を探す会」を結成。同窓会などで情報提供を呼びかけたところ、同窓会幹事から証言が寄せられた。 ■河嶋功一(かわしまこういち)昭和33(1958)年5月5日生、関東学院大学を卒業した昭和57(1982)年3月22日、実家のある浜松で就職する直前、下宿を引き払うため両親が横浜市の下宿へ荷物を取りに行き、本人は電車で浜松に帰ると言って出たまま失踪。当時小雨で傘一本、電車代と本人の小遣い程度しか持っていない。本件に関しても基本的には他の理由による失踪が考えられないことと、失踪の何日か前に特に親しかったわけでない友人に「北朝鮮に行く」という電話をかけている。内容は一方的なもので、電話を受けた友人も違和感を感じた。その他各種の要件を総合的に検討して判断した。 |
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■河嶋功一(かわしまこういち)