佐々木悦子さん
 
  • 生年月日:1963年12月6日
  • 失踪時期:1991年4月22日
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■基本情報


佐々木悦子さん 目撃証言 明日放送
9月14日のテレビ朝日「報道ステーション」で、脱北者からの証言が流された。金正日の第4夫人だとかいう「金玉女史」が、日本人3人を管理しており、その日本人は拉致された来た人だというものである。特定失踪者の写真を見せたところ、この女性がよく似ているとして一枚の写真を手にする。この14日の放送では、写真の顔をぼやかし、名前も出さず「関東で行方不明になった女性」とだけ報じていた。ただし、その写真は非常に特徴的で一目で「佐々木悦子」さんとわかるものである。脱北者は、半袖を着ていて肩口に4cmほどの傷跡があったと証言しているが、佐々木悦子さんのお母さんによるとそういう「傷跡」はなかったという。ただし、北朝鮮に拉致されてからの傷跡の可能性もある。

明日、21日の報道ステーションでは、佐々木悦子さんの実名でこの模様が報道される予定である。内容が14日のものよりも詳細であるのかどうかは不明。悦子さんのお母さんにあったテレビ朝日からの連絡では、写真に関しては「そっくりだ」と言っているそうである。ただ、「傷跡」にはひっかかるものもある。どういう内容になるのか、悦子さんだと信じていいだけの情報があるのかどうか、お母さんも放送を待ち侘びているのだという。注目していただきたい。





々木悦子さんに関しては、2004年5月にも「目撃証言」があった。しかし、その後、何ら事態は進展していない。安倍新政権では、特定失踪者に関して情報を精査し拉致被害者としての認定を進めて欲しい。

佐々木悦子さん埼玉県浦和市
 27歳(81年4月22日失踪当時)

「この女性とは94年6月に5454部隊の本庁舎2階にある通信局で会いました。なぜ詳しく覚えているかというと、私の誕生日が6月21日で、長年の友人だった語学参謀長が『今日はいい女を紹介してやる』と言って、会わせてくれたからです」 (権氏)
 5454部隊は、平壌市東大院区三馬洞にある。前述したように、日本攻撃を目的とした特殊部隊で、金日成直属の親衛隊として知られていた。
 権氏が57軍校から5454部隊に異動となったのは金正日総書記(政治委員会委員・当時) の配慮だったという。
「57 軍校の任務は在日米軍基地などを標的とした肉弾攻撃で、入隊したら生きては帰れない決死隊です。そのことを心配した母が、金正日の側近だった叔父を通じて金正日に異動を嘆願したところ、『それなら5454に行った方がいいだろう』と、私を5454部隊に異動させてくれたのです」 (権氏)
 その5454部隊に「通信局」があり、そのなかに日本の電波を傍受していた専門セクションがあったという。権氏が続ける。
「このセクションには30人ほどの日本人がいました。その中に最近拉致してきた、頭のよい美人がいるという噂は聞いていました。彼女は言葉を覚えるのも早かったそうです。通信局にはなかなか入れませんが、語学参謀長が特別に入室を許可してくれたんです。彼女は通信の解析などをする電波探知所で探知機の前でタイプか何かを打っていました。明るくて、日本人の友達が多かったようです。風貌からもいい暮らしをしているように見えました」
 失踪当時、悦子さんは結婚5年目、浦和市内 (現さいたま市) で銀行のパートをしながら、夫の両親と同居していた。ところが、仕事が休みにもかかわらず、なぜか悦子さんは「銀行に出勤する」と言い残したまま、行方がわからなくなってしまった。もし権氏の証言通り、悦子さんが北朝鮮に拉致されたとしたなら、内陸部の埼玉県から海岸まで何者かにおびき寄せられたのだろうか。
 権氏の証言に、悦子さんの母・アイ子さん(64)がこう絶句する。
「そうですか、北朝鮮であの娘を見かけたんですか。少しだけ、光が見えてきたかなあ……。もともと体の弱かった主人は心労が重なり、92年に入院してしまいました。『悦子がいる』と言って点滴を付けたまま、入院中の病室を見て回ったこともありました。主人が亡くなったのはその2カ月後でした。私は元気に生きていないといけないですね。あの娘に会えなくなると困りますから」(フライデー2004年 5/2号)


●佐々木 悦子 (ささき えつこ)
失踪時期 1991年4月22日
失踪当時の年齢 27歳
失踪場所 埼玉県浦和市
失踪当時の身分 銀行パート
失踪当時の住所 埼玉県



| 1000番台::佐々木悦子 | 04:04 AM | comments (0) | trackback (0) |

06/04/16 佐々木悦子さんのお母さんの訴え
4月16日、埼玉県大宮市のJACK大宮にて日本再生フォーラム第17回講演会が開催されました。
その講演会の中でのご家族の声をご紹介します。

佐々木悦子さんのお母さんの訴え




音声は、「話しの花束」さんより

| 1000番台::佐々木悦子 | 03:52 PM | comments (0) | trackback (0) |

1/21 佐々木悦子さんの母、アイ子さんの声を
例えば昨年12月22日の国民大集会。その直前、3日間に渡って新橋、有楽町で集会参加を呼びかけるビラ配りが行われた。決して大がかりのものではなく、少人数で行われた。ビラを受け取ってくれる人は少ない。寒風吹きすさぶ中、通り過ぎる人々にビラを掲げて声をかけている人が、特定失踪者、佐々木悦子さんのお母さんであり、生島孝子さんのお姉さんであることに気付く人はほとんどいない。1月16日の東京地裁前での「古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟」の支援を訴えるビラ配りの場合もそうだ。この裁判では傍聴席に毎回、何人かの特定失踪者のご家族がお見えになっている。拉致と認定されなければ何も動かない、動いて欲しい、忘れないで欲しい。声をあげて訴えたい。
それでも、声を聞いてもらえる機会はとても少ない。

佐々木悦子さんは1991年埼玉県浦和市(当時)で失踪した。結婚5年目の27歳。悦子さんのお父さんは、誕生日である12月6日になると小さなショートケーキをご夫婦と悦子さんの分として3つ買ってきたという。しかし、心労が重なり体をこわし、悦子さん失踪の5年後、お亡くなりになった。悦子さんの目撃証言が出た後、母アイ子さんはこう述べている。「そうですか、北朝鮮であの娘を見かけたんですか。少しだけ、光が見えてきたかなあ……。もともと体の弱かった主人は心労が重なり、92年に入院してしまいました。『悦子がいる』と言って点滴を付けたまま、入院中の病室を見て回ったこともありました。主人が亡くなったのはその2カ月後でした。私は元気に生きていないといけないですね。あの娘に会えなくなると困りますから」しかし、この証言が出た後、何も動きはなく、警察からも新たな接触等はない。アイ子さんは、毎回、古川了子さん認定訴訟の傍聴に訪れている。認定されようがされまいが何の差もない、という国の言葉をどう聞いているのであろうか。

1月21日、埼玉県越谷市で「拉致被害者、特定失踪者家族の声を聞く会」が開かれます。そこで、佐々木アイ子さんも登壇されます。お近くの方は、ぜひ足をお運び下さい。


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拉致被害者・特定失踪者家族の声を聞く会

日 時:1月21日(土)午後6時半〜8時半
場 所:南越谷サンシティ2階
    (JR南越谷駅・東武鉄道新越谷駅東口徒歩3分)

ゲスト:飯塚繁雄さん(拉致被害者 田口八重子さんの兄)
    佐々木アイ子さん(特定失踪者 佐々木悦子さんの母)
    平田隆太郎さん (救う会事務局長)
    その他県内の拉致被害者及び特定失踪者のご家族
参加費:500円
主 催:救う会埼玉
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| 1000番台::佐々木悦子 | 03:18 AM | comments (0) | trackback (1) |

古川了子さん訴訟の日、佐々木悦子さん北で誕生日
本日、12月6日、東京地裁で古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟の第4回公判が開かれた。被告である国側は一貫して、原告である古川了子さんの母と姉には訴えの利益がない、すなわち訴訟要件を欠くとして訴えの却下を求めてきた。国側は、「拉致被害者支援法」によって拉致と認定されようがされまいが、拉致の疑いのある人に関しては差別することなく「政府の責務」として取り組んでいるのだという。よって、拉致認定による差異はなく、認定されないことによって原告に「重大な損害」は生じないとする。

原告弁護団は、拉致と認定されている被害者と認定されていない被害者の扱いに関しては明確に差異があると指摘し続けてきた。例として、本年4月に拉致と認定された神戸の田中実さんを挙げる。国は認定されるとすぐに北京の外交ルートを通じて田中実さん拉致の有無、生存情報を北朝鮮に求めた。これは「拉致と認定」されたからこそではないのか? また被害者の家族に対する応対でも大きな差がある。これは家族会事務局長の増元照明さんも傍聴の後の報告会で述べているが、拉致と認定されている家族に対しては北朝鮮との交渉の後、外務省で審議官、局長クラスの人間によって報告があるが、特定失踪者のご家族に対してはそのようなことは決して行われない。調査会を通じて強く面会を求めて、ようやく課長クラスの人間が会うだけである。例えば、昨年の9月、北京で行われた第二回日朝首脳協議。脱北者によって写真がもたらされた藤田進さんに関して斎木審議官は第一回協議で調査を要求しており、これに対して第二回協議で北朝鮮が「あり得ない」と回答してきた。このことは新聞などで報道されたが、家族としては当然、より詳しいことを聞きたい。しかし、外務省から能動的に説明をするということはなく、調査会の荒木代表、真鍋理事と藤田進さんのご家族が強く面会を求めたのである。その場に出てきた北東アジア課長から返ってくるのはそっけない言葉だけであり、顔は半分笑っていたという。思わず詰め寄ると「そんなこと言うのなら、もう名前を出さなくたっていいんですよ」と言ってのけたという(戦略情報研究所の講演会での荒木和博氏の発言より)。

被害者の扱いに関しても、またご家族に対しても、拉致と認定されているかいないかで明確に差があるのである。弁護団はそのような明確な事実(今日の裁判では“生の事実” と言われていた)に関して、あったのかなかったのかは一切答えない。この点は、本日の公判で裁判長からも国側代理人に対して、「生の事実に関しても一切認否を明らかにしないのか?」と念を押されていた。国側代理人は、その必要はないとする。

弁護団は国側が一切の認否を拒否する以上、次ぎの段階として原告側の証人を喚問するよう裁判長に求めた。原告側が申請した承認は、北朝鮮で古川了子さんを目撃したと証言している安明進氏、調査会代表の荒木和博氏、拉致と認定されている被害者家族を代表して増元照明氏、そして、古川了子さんの姉であり原告でもある竹下珠路さんの4人である。裁判長が国側代理人に意見を求めたところ、国側代理人は、4人の証人の喚問は全て必要なしと答えた。裁判長は、結局、証人喚問前にまず陳述書を提出することを弁護団に求めた。この場合の陳述書とは証人を喚問してどのようなことを聞き何を明らかにしようとするのかを述べるものである。それを見た上で証人喚問の可否を判断するという。安明進氏は、本日の裁判の傍聴に来ており、弁護団は韓国から来ていただく都合もあるので、安明進氏だけでも今日喚問の日程を決めて欲しいと粘ったが却下された。次回公判は、来年1月26日、午前11時半からと決まった。1月12日までに弁護団は陳述書を提出する。次回公判で、申請した証人の喚問の可否が決定する。ここで証人喚問が認められないようならば、国側の主張が通ることになるだろう。重要な局面を迎える。



第一回公判と第二回公判では、傍聴は抽選が行われ、特定失踪者のご家族の中にもはずれる人がいた。傍聴席の数割は記者席ともなっていた。しかし、第三回公判からは抽選は行われず先着順となり、本日の公判では記者席は一席も用意されず、空席も多くでた。傍聴していた特定失踪者のご家族からは、「国の冷たい仕打ち」が一切国民に知らされることのないことに苛立つ声も聞かれた。このままでは国側主張に沿った結果が出、「古川了子さんの拉致認定は認められませんでした」というような簡単な報道が行われるだけになってしまうのではないかという不安である。次回公判は重要な局面である。広く国民に知らせることも必要であり、そのためにはビラ配り等の行動も必要だろうという話しも報告会では出た。ぜひ次回公判では、傍聴席に大勢の人が詰めかける事態にしたい。それが「圧力」にもなり、マスコミを動かす力にもなりうる。

拉致と認定されようがされまいが、法的利益には何の関係もないという「冷たい仕打ち」が行われていた今日、1991年埼玉県浦和市(当時)で失踪した佐々木悦子さんが42歳の誕生日を迎えた。佐々木悦子さんは特定失踪者問題調査会が「拉致の疑いが濃厚」としており、北朝鮮での目撃証言もある。失踪当時、悦子さんは結婚5年目の27歳、浦和市内(現さいたま市) で銀行のパートをしながら、夫の両親と同居していた。ところが、仕事が休みにもかかわらず、なぜか悦子さんは「銀行に出勤する」と言い残したまま、行方がわからなくなってしまった。悦子さんのお父さんは、誕生日である今日、12月6日になると小さなショートケーキをご夫婦と悦子さんの分として3つ買ってきたという。しかし、心労が重なり体をこわし、悦子さん失踪の5年後、お亡くなりになった。悦子さんの目撃証言が出た後、母アイ子さんはこう述べている。「そうですか、北朝鮮であの娘を見かけたんですか。少しだけ、光が見えてきたかなあ……。もともと体の弱かった主人は心労が重なり、92年に入院してしまいました。『悦子がいる』と言って点滴を付けたまま、入院中の病室を見て回ったこともありました。主人が亡くなったのはその2カ月後でした。私は元気に生きていないといけないですね。あの娘に会えなくなると困りますから」しかし、この証言が出た後、何も動きはなく、警察からも新たな接触等はない。アイ子さんは、毎回、古川了子さん認定訴訟の傍聴に訪れている。認定されようがされまいが何の差もない、という国の言葉をどう聞いているのであろうか。

安倍晋三氏が官房長官に就任した際、「特定失踪者も含めて全員の帰国を」と述べた。力強い言葉とも取れるだろう。しかし、複雑な気持ちでこの言葉を聞く人もいる。決して名前で呼ばれない特定失踪者のご家族だ。もちろん何十人、何百人の名前を挙げるわけにはいかない。しかし、いつでも、特定失踪者と一括りにされていることへのやるせなさにも思いをはせよう。それぞれ、古川了子さんであり、生島孝子さんであり、大澤孝司さんであり、佐々木悦子さんなのだ。今日の裁判で国は認定されている人とされていない人を差別していると私たちは糾弾した。しかし、その当の私たちも「差別」をしていないか。横田めぐみさんや増元るみ子さん、市川修一さん、松木薫さん達と、その他大勢の特定失踪者、と。北朝鮮の空に輝く月や星を見上げて日本を思い、「ふるさと」を歌っているのは、曽我ひとみさんとめぐみさんだけではない。佐々木悦子さんも、日本でご両親に祝ってもらった少女時代の誕生日の事を思い出しながら、今日を迎えているだろう。忘れてはいけない。



第5回公判
1月26日(木)午前11時半(20分から30分程度前にお集まり下さい)〜
東京地裁で(一階ロピーに関係者の方がいます。そこに行けば法廷などがわかります。)

[調査会NEWS 314](17.12.7)

■古川認定訴訟で政府側は「門前払い」の姿勢崩さず

 昨日12月6日、東京地裁606号法廷で、古川法子さんの拉致認定を政府に求める訴訟の第4回口頭弁論が行われた。今回は二十名を超える支援者・関係者とともに、元北朝鮮工作員で古川さんを平壌で目撃した安明進氏も傍聴席で裁判を見守った。

 公判で、被告である政府側は、支援法に基づく認定により法的利益が生ずるわけではないという従来通りの姿勢を崩さず、訴えの却下を裁判所に求めた。
 これに対して原告側は、前回田中実さんが認定によって北朝鮮に対して外交ルートを通じて北朝鮮当局に対して真相究明を求めるなど、政府認定があるかどうかで明確な差異があると主張したにもかかわらず、それについて一切触れないなどの不誠実な姿勢を厳しく追及した。

 原告側弁護団はさらに、訴訟要件を満たし、かつ実態審理にも大きくかかわるとして、安明進氏、原告の竹下珠路さん、荒木和博調査会代表、増元照明家族会事務局長を証人として採用することを裁判所に求めたが、裁判官の協議の結果、原告側に証人についての陳述書を1月12日まで提出することを求めるにとどまった。次回口頭弁論は1月26日11:30から、東京地裁606号法廷において行われる。
 
 第4回口頭弁論終了後、弁護団は支援者ら30名を集めて報告集会を行った。

 最初に傍聴した安明進氏が挨拶に立ち、「初めて裁判というものを見たが、被告である日本政府の対応は残念でならない。自分は古川了子さんを91年に了子さんを平壌市内で見ているし、姉の竹下さんに会って、その面影からそれが了子さんだったことを確信した。拉致をした金正日、そして拉致を許した日本政府と闘うみなさんのお役に立ちたいと思う」と述べた。

 川人博主任弁護士から裁判の報告がなされたあと、弁護団から「政府側は前回原告として出した田中実さんの例を挙げての反論に一言も触れないなど、極めて不誠実」「裁判官も行政訴訟を専門に担当していることもあって明らかに行政寄り。厳しく追及したい」「裁判を後押しする意味で、地裁前でビラを配るなどしたらどうか」などの意見・提案が出された。

 また傍聴した特定失踪者家族からも「裁判は結果だけしか注目されないが、政府側の木で鼻を括ったような対応には怒りを覚える。この政府の対応をマスコミを始めもっと一般の方にも知ってもらう必要がある」と意見が出された。

 出席していた調査会の杉野正治常務理事も「政府の姿勢は、北朝鮮の時間稼ぎ外交とそっくり。北の意向を日本政府が代行していると見られても致し方ない。被害者救出は時間との闘い。北のみならず日本政府にも、対話だけではなくて圧力が必要」と述べた。

 最後に原告で古川了子さんの姉・竹下珠路さんがお礼の挨拶で「この裁判は了子だけではなく拉致被害者全員を救出するためのもの。皆さんのご協力をお願いします」と述べて集会を終えた。


[調査会NEWS 314](17.12.7)

■古川認定訴訟第4回口頭弁論について

             法律家の会幹事 川人博(調査会常務理事)

 政府側は従前通り門前払いの判決を求め、もう裁判は終結して却下の判決を出してもらいたいと要求した。弁護側は政府側の主張は全く実態にあわない不当なものであり、次回から証人調べを開始するように求めた。具体的には安明進氏、竹下珠路さん、荒木和博調査会代表、増元照明家族会事務局長の4人の証人申請をして、当日傍聴していた安明進氏の証人期日を本日決めるよう強く求めた。

 裁判官は数分間の休憩をして別室で議論した上法廷に戻り、次の通り進行について述べた。

(1) 4人について陳述書(証言する内容の概要)を次回までに提出して欲しい。
(2) 次回は来年1月26日11時30分から

 次回の裁判が文字通り古川訴訟の帰趨を決する期日になる。弁護団としては次回必ず証人の決定をさせて2月ないし3月には証人尋問を実施させたいと考えている。政府側が頑なな姿勢を変えないので法廷外での裁判への支援活動を強く期待したい。


| 1000番台::佐々木悦子 | 10:07 AM | comments (0) | trackback (0) |

「生きて」と願う川口の2家族 佐々木悦子さん
 昨年十月に北朝鮮の拉致被害者五人が帰国してから、一年以上が過ぎた。この間、特定失踪(しっそう)者問題特別調査会は、全国で拉致の疑いがある失踪者情報を公表。県内でも新たな拉致疑惑が次々と浮上した。中でも「疑いが濃厚」とされたのは、一九九一年に失踪した佐々木悦子さん=当時(27)=と、七七年に失踪した新木章さん=当時(29)=の二人。親族らは「今までは拉致という発想さえなかった。日本にいてもいい。とにかく出てきてほしい」と、地道な捜索活動を続けている。

 佐々木悦子さんが失踪したのは九一年四月二十二日。午前八時ごろ、「会社へ行く」と自転車で家を出たまま連絡がとれなくなった。母親のアイ子さん(64)は、拉致特集の週刊誌を読み、わらをもつかむ気持ちで調査会に連絡した。

 報道陣が連日のように押し寄せ、悦子さんの顔写真が日本中に流れた。間もなく「北朝鮮で悦子さんを見た」と目撃者も現れた。決定的な証拠ではなかったが、「生きている」という希望は膨らんだ。

 出席した拉致被害者の集会では、失踪者の親世代が少ないことに驚いた。体を壊したり、子どもの帰宅を願いながら死んだ人もいた。アイ子さんの夫の末記さんも、亡くなる直前まで、髪の長い女性を見るたびに「悦子ではないか」と顔をのぞきこんで確認していたという。

 「悦子の健康も心配だけど、私も健康でいられるのはあと十年くらい。子どもに会えなかった夫らのためにも頑張らなければいけない」。アイ子さんはポツリと話した。


報道された資料を前に「これだけ出ても戻ってこない」と話す佐々木悦子さんの母アイ子さん =川口市内の自宅

| 1000番台::佐々木悦子 | 01:09 AM | comments (0) | trackback (0) |

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