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2006年10月14日(土)
「瀬谷区拉致問題を考える会」講演会
横田夫妻が語る 〜拉致の現状〜 講 演:横田滋さん・早紀江さんご夫妻(めぐみさんのご両親) 大澤茂樹さん(特定失踪者大澤孝司さんの次兄) 川添友幸さん(救う会神奈川会長) 【コメンテーター】 川口順子氏(参議院議員) 小林ゆたか氏(北朝鮮拉致問題対策本部 国際連携推進チーム事務局長 参議院議員 吉田勝明氏(瀬谷区拉致問題を考える会 実行委員長) 【コーディネーター】 川口まさとし氏(横浜市議会議員) さかい学氏(衆議院議員) 日 時:平成18年10月15日 日曜日 午後5時30分開場 午後6時開演 場 所:瀬谷公会堂(相鉄本線 三ツ境駅徒歩7分 瀬谷区役所に隣接) http://asp.netmap.jp/map/226300318625.html 入場無料 主 催:瀬谷区拉致問題を考える会 共 催:北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会 あさがおの会 問合先:横浜市戸塚区戸塚町4092 戸塚ビル1号館4階 さかい学事務所内 http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/25459310.html |
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2005年04月21日(木)
昭和51年7月30日、伊津神津島で失踪した特定失踪者・高野清文さんの妹、高野美幸さんがブログを開設されました。
KONAboration-SSQ http://konaboration-ssq.seesaa.net/ 『KONAこと、高野美幸です。宜しくお願いします。 いつもくだけたKONAを見ている皆さんには重い話しかもしれませんが、KONAの頭の中ではこんな風に色んなcollaborationや、synchronizeが起きているんだなーっと、身近に感じてもらえたら、幸いです。 また、真剣に拉致問題解決に取り組んでいる皆さんの中には、KONAの発想がふざけていると感じる方もいらっしゃるかも知れませんが、関心のない人方に、多少砕けた形で情報提供することで、一人でも多くの日本国民の関心を引けたらいいなと思って取り組んでいますので、なにとぞご理解をお願い致します。』 訴えたいという思いを持ちながら、多くの特定失踪者ご家族は訴える術を持たずにいます。高野さんのブログが多くの人に読まれること、そしてご家族の気持ちを多くの人に知って貰える場になることを祈っています。 |
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2005年04月15日(金)
撮影したビデオカメラから文字化しました。
皆さま、こんにちは。(会場から「こんにちは」) 特定失踪者「高野清文」の妹の高野美幸です。何回かお話させていただいておりますが、初めての方もいらっしゃると思いますので、ちょっとだけ紹介させていただきます。 私の兄は、1976年に伊豆七島の神津島から行方がわからなくなりました。長野県出身で当時、電気通信大学の2年生でした。 *高野清文さん http://nyt.trycomp.com/takano/ 特定失踪者のことは先ほどから何回もお話に出ております。後ろに特定失踪者のポスターが貼ってありますが、430名おりまして、その中で顔を公開されている方は約半分いらっしゃいます。黄色の新しいポスターは、拉致被害者の方々も一緒に写っております。いなくなった時期がひと目でわかるようになっておりますので、ご覧になって、入用の方は販売もしておりますので、どうぞよろしくお願いします。 それから、私の母も昭和10年生まれでして、母の父、私にとっては祖父にあたるのですが、北朝鮮に開拓で行っておりまして、(その地で亡くなって)半島の土となっております。お祖父ちゃんの墓参りに行けないことが、私はちょっと違和感を覚えながら育ってきたんですけれども、向こうの土地の方が、母が日本に帰って来る時に、お米を握らせてくれて、母はそれを食べながら帰って来たという話を聞いたことがありますので、そういったこともありまして、向こうに住んでいる方々のことも考えながら私は活動を続けていきたいと思っております。 これは母がいつも編んでいる「アクリルのエコロジーたわし」です。(皆さんに見せる)わが子の無事と再会を願って編んでおります。たぶんそれで気を紛らわしていると思うんですけど、母の思いを何かかたちにしたいなと思って、私がいつも集会などで販売をしております。収益金は特定失踪者問題調査会と私の方の活動費と半々で使わせていただいております。もしよろしかったら後ろの方に販売しておりますので、どうぞよろしくお願い致します。 それから署名なんですが、先ほどお話のありました特定失踪者「大澤孝司さん」のお兄さんも私も署名を集めております。何回も書いていただいて本当に申し訳ありませんが、少しでも署名をいただけたらありがたいと思っております。 それと、私の方のチラシはすでに何回も配布しておりますので、今日は事前に配られた資料の中に入っておりませんが、後ろの署名をしておりますブースに置いてありますので、よろしかったら何枚でもお持ち帰りになって、周りの方に配っていただければありがたく思います。 それから私の作った歌の詩なんですけれども、皆さんのお手元の資料が入っている封筒の中にあります。「蒼明」と「白い道」というタイトルなんですが、「白い道」の方は私の作詞ではないんですが、めぐみさんが歌っているような気持ちに聴こえまして、本当の曲はヴィヴァルディで、今日歌いたかったんですけど、伴奏者が今日は都合がつきませんでしたので、「蒼明」の方を歌わせていただきます。私と同じような年代の方にももっと関心を持っていただきたく、何か訴えかけるきっかけができたらいいなと思って作りました。皆さん、聴いてください。 −蒼明− 作曲 きなさかゆうま 作詞 高野美幸(KONA) 触れることも叶わない セピア色の過去なのに 見送った君の背中 何も変わらず 記憶の片隅に隠す この手つないだ温もり 見つけ出すよ君の全て 胸震わせる真実 Ah 北西の地にはまた 君の命輝き 日よ照らして 月の鏡に 流れ星願いかけて 涙でできた海の蒼い海流 赤い太陽 黄に夜明け染めて 流されないで戦い方も知らない 小さなISLANDS もうこれ以上 待てない その愛を 取り戻す今 白く霞む水平線 一人細波に歌う 無機質なビルの壁に 浮かぶ刹那さ あの日海に沈められて 眠る本当の自分 もう一度見つけ出せたなら 抱き締められる真実 Ah 蒼い絆は切れず 強く結ばれている 風にのせて 空よ映して 海よ伝えてほしい 涙でできた海の蒼い海流 心に灯る火で 橋を架けて 蒼い炎が 深く暗闇を照らす 凍るPARADISE 自由の羽広げる その夢が 蘇るように 最後まで聴いていただきありがとうございました。(大拍手) *「白い道」(ヴィヴァルディ「四季」から) 作詞 海野洋司 作曲 ヴィヴァルディ どこまでも白い ひとりの雪の道 遠い国の母さん今日も お話を聞いてください あれからもう三年過ぎ この道にまた白い雪 サラサラ鳴ります 北国の冬は きびしく辛いけど 母さんと歩いた道は あたたかい思い出だけ れんげの春トンボの秋 忘れません声をあわせ うたったあの歌 あしたもこの道 歩きますひとりで 母さんが歩いたように 風の中も負けないで いつか春の風が吹けば 歌いましょうあの日の歌 ひとりこの道で http://aoinomama.trycomp.net/ |
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2004年09月25日(土)
1976年7月伊豆神津島で失踪した特定失踪者高野清文さんのご家族が、その約2週間前に伊豆新島で失踪した女性(当時22歳)の情報を求めています。 皆様のご協力をお願いいたします。
昭和51年7月12日:伊豆新島で松下恵利子さん失踪 昭和51年7月30日:伊豆神津島で高野清文さん失踪 特定失踪者:高野清文さんは、昭和51年7月30日、在学していた電気通信大学の学生寮生17名の合宿で訪れた伊豆神津島で忽然と消えてしまいました。失踪直後から同行していた寮生や、警察・消防・役場職員、全島あげて捜索し、神津島の派出所から連絡を受けた両親は、8月1日に島に辿り着くと、無事に帰ってきて欲しいという必死の思いで探しました。海では捜索船が2艘で島を反対回りに巡回し、ヘリコプターも飛んで捜索しました。8月8〜9日の2日間は、警察犬2匹を警視庁よりヘリで運び、鑑識警察署員・消防・役場職員、家族で捜索しましたが、その場で溶けて無くなってしまったように何一つ手がかりを発見することは出来ませんでした。1979年(昭和54年)10月8日には、長野県より登山家(故・富沢勲夫氏)に同行してもらい、天上山の断崖と下の茂みを捜索しましたが、何も発見できませんでした。 この高野清文さんの失踪の約2週間前、同年7月12日、やはり同じ伊豆の新島で遊びに来ていた 22歳の保母さんが神隠しのように失踪していました。この女性のその後の消息は分かっていません。もし、何の手がかりもないままであるならば、高野清文さんの失踪と重大な関係があるのではないかと思われます。この女性・ご家族・同行していた友人の情報を求めています。 失踪者:松下恵利子さん(失踪当時22歳) 母:松下米子さん 失踪時同行者(友人):谷村紀美子さん(当時22歳・2004年現在49〜50歳) 上記3名の女性に心当たりのある方、何らかの情報をお持ちの方、またこれらと関係ない方でも、北朝鮮工作員ないしその関係者に拉致されそうになった方や、それに類する状況を目撃した方がおられましたら、特定失踪者問題調査会(電話:03−5684−5058)までご一報ください。 高野清文さん、および上記の女性に関するより詳しい情報は下記ページをご覧下さい。 http://nyt.trycomp.com/takano/ |
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2004年07月26日(月)
(司会者から拉致濃厚と紹介されて)え〜、濃厚というか、特定失踪者問題調査会の方で濃厚と呼ばれている方にはまだ入っていないんですけども、可能性があるということで。前回も少しお話をさせていただきましたが、私が横浜に住んでおりますので、救う会神奈川さんの方に協力をさせていただいて、こういった席を設けていただいたことに感謝申し上げます。
まず拉致被害者は10件15人ではない。ここにいらっしゃる方は皆さん認識を持っていらっしゃると思うんですけども、なかなか全国民に認識を持っていただけてないということで、一番あげていかなくてはならない話かと思っております。私の兄、高野清文は1976年、大学2年生の夏休みに伊豆七島の神津島にいっている時に突然行方をくらましてしまいました。父は、先ほど地村さんのお話を聞いていて本当に心が痛かったんですが、まったく同じように、兄が優秀でなおかつ体力もある男性に育っていましたので必ず生きていると信じて探し続けて、挙げ句の果ては島に住んで見つかるまで探そう、というところまでいったと、後から母から聞きました。その後、うちの家族もずっと28年間、7月30日にいなくなっていますので、まもなく満28年をすぎて29年目に入る所になるんですけども、その間ずっと、どこにいったのだろう、という思いを持ちながら探していたんです。一昨年に小泉首相の訪朝の時に5名の方が生きていらっしゃる、ということで、地村さんご夫妻、蓮池さんご夫妻。で、あともう一人の方が政府未認定の方だという話がありました。その時、私は家でテレビを見ながら、テレビの画面に「高野清文という名前を言ってくれ。兄の名前を言ってくれ」ということを心の中で唱えながら、テレビの報道を見ておりました。実際ふたをあけてみますと曽我ひとみさんという女性の方が出ていらっしゃったんですけども、政府の拉致認定のない方でも拉致の被害にあっている方がいらっしゃるんだということを深く認識しまして、家族の方とも相談して政府とか、地元の警察であるとか、神津島ですが新島が本署ですので、新島署の方に連絡をしたりして再捜索というような状況になってきました。 同じように調査会の方にやはり拉致の可能性があっていなくなってる、という方が現在400人近く申し出をされている状況に今、なってまいりました。「拉致と強制収容所」を買っていただいた方は私の兄、120ページに顔写真が載っております。あとこの会場に今日もう一人特定失踪者で公開されているご家族の方がいらっしゃるんですけども、117ページの一番左上に生島孝子さんという方で東京の都心の渋谷区から行方不明になられた方のご家族がいらっしゃってます。 400人の家族、集まってみますと、私の方が大町ルートという形の資料を最近作らせていただいたんですけども、こちらの方で、東京都心はあまりにも多いため割愛しましたと書くしか書きようがない位、都会でいなくなってるという状況がありまして、私の兄もいなくなった場所は神津島なんですけども、当時住んでいた場所が調布の電気通信大学だったということで、その近辺、後の10年間、1970年代後半から80年代前半にかけて10名の同じくらいの年頃の若者がいなくなっているということが判明していて、ここにも何かしらの意図が見えてきているのではないかと、現在調べている最中です。 法律家の会の本「拉致と強制収容所」を読んでいますと、特定失踪者の問題もかなり深く書いていただいているんですが、これ読むと本当に強制収容所の話の方が私は恐ろしくて、先日も荒木先生が、読んでる内容と現実がどっちが本当なんだろうと思って焦燥に駆られるというようなことをお話されて、私も同じような思いを、電車の中で読んでいて思ったことがあります。私の母方の祖父が北朝鮮に埋まっています。母方の祖父母が開拓で北朝鮮に行っていたということで、ソウルと平壌の間の、ちょうど国境の少し北側のケソン、開く城と書いてケソンという町があって、そこの小学校にうちの母は電車に乗って通っていたということです。母が小学校の入学式の日に私の祖父が亡くなっていますので、あちらの土になっていると思います。当時、母親に聞きますと、向こうの作業を手伝ってくださっていた方々というのは、非常に心優しい方々で、別に強制的に使っているというわけではなく、本当に一緒に仕事をさせていただいたような形で、引き揚げて来る時も、ここに匿ってやるから残らないか、と言われたそうです。でも残るわけにもいかないので、帰りますと話をしたところ、焼き米だと思うんですけども、子供たち5人兄弟にそれぞれ一握りずつ持たせて、このままでも食べられるし、水に戻せばご飯のように食べられるから、持っていきなさいと渡されたそうです。非常に土地の方への思いも強かったということが、最近母と話しをしていてわかってきました。私は兄の問題というだけではなくて、兄の問題を通して金政権への闘いを挑んでいこうと、こちらにいらっしゃる韓国の拉致被害者や北朝鮮の食料も得られないで生きていらっしゃる方、その方たちはもしかしたら、母を助けようとした方の子孫かもしれません。そういった方たちのことも助ける仕事になっていく、仕事というか働きになっていくと思って、今、活動の方を志をそういう風に持って動いております。 私の母にも地村さんと同じような笑顔を取り戻させていただくように、どうかこれからも拉致問題、特定失踪者問題に気持ちを寄せていただければと思います。どうかよろしくお願いいたします。 7月24日 藤沢での講演会にて。主催救う会神奈川 この藤沢講演会の模様はadoruk626さんのサイトlogにレポートが掲載されています。 「拉致被害者と家族の人権を考える市民集会」レポート http://blog.livedoor.jp/adoruk626/archives/4912300.html --------------------------------------------------------- 高野 清文(タカノ キヨフミ) 特定失踪者 1956年(S31)10月31日生、当時19才、長野県塩尻市広丘出身・両親現住所 県ヶ丘高等学校1975年(S50)年卒、電気通信大学2年生在籍(東京都調布市・調布寮居住)時失踪 失踪場所:伊豆神津島 1976年7月、伊豆神津島で失踪した特定失踪者:高野清文さんのご家族が、同じ7月、伊豆新島で同じ様に失踪したある女性の情報を求めていらっしゃいます。 http://nyt.trycomp.com/takano/ 大町ルート http://nyt.trycomp.com/takano/oroot.html ---------------------------------------------------------- ● 生島 孝子 失踪時期:1972年11月1日夕刻 失踪当時の年齢:31歳 失踪場所:東京都渋谷区の自宅を出て以後不明 失踪当時の身分:交換手 失踪当時の状況:「夕方に電話があったら出かける」と出かけたきり行方不明。翌2日夜、男性の声で電話があり「今更仕方ないだろ」と言って切れた。 72年11月、東京都渋谷区のアパートからいなくなった生島孝子さん(当時31)の姉馨子さん(63)は「この公表が最後のチャンスと思った。何か手がかりが得られれば」と新宿区の自宅で話した。孝子さんは電話交換手で、バッグや定期券は部屋に残されたままだったという。母うらさん(97)は「ずっと世界中のどこかで生きていると信じてきた」と涙を浮かべた。 (朝日新聞) 特定失踪者問題調査会 http://www.chosa-kai.jp/indexjpn.htm |





失踪者:松下恵利子さん(失踪当時22歳)