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2005年10月12日(水)
よど号妻の拉致被害を否定 警視庁幹部、訴訟で証言
よど号ハイジャック事件に絡む東京地裁の民事訴訟で警視庁公安部幹部が11日、1976年に24歳で北朝鮮に渡航したとされ、「救う会」が政府に拉致被害者と認定するよう求めている高知県出身の女性について「拉致被害者とは考えていない」と証言した。 女性は北朝鮮でよど号メンバーの故岡本武容疑者と結婚、既に死亡したとされるが、救う会は「だまされて北朝鮮に行き、よど号メンバーと結婚させられた立派な拉致事件。証言の意図を測りかねる」としている。 証言したのは、警視庁公安1課の中村登警視。(1)女性は日本に一時帰国した際、友人宅に泊まるなどしており、逃げる機会があった(2)海外の領事館で自ら旅券更新をしている−などを拉致被害者と判断しない理由として挙げた。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051011-00000235-kyodo-soci ここでいう高知県出身の女性とは、福留貴美子さんのことである。福留貴美子さんは、昭和55年6月に日本を出国した後、行方がわからなくなっていた。後、高沢皓司氏(『宿命』著者)が、よど号ハイジャック犯の一人、岡本武の妻とされている女性が福留貴美子さんであることを調べ上げた。福留さんは昭和55年、「モンゴルに行く」と行って日本を出国している。しかし、当時、モンゴルに何の伝手もない日本人が個人で入国することは難しいことであった。当時、モンゴルに行く場合、「日本モンゴル親善協会」を通すことが通例だった。この協会の関連しているある会社は、名古屋から北朝鮮への直行便を飛ばすなど、北朝鮮とも密接なつながりがあると言われている。 モンゴルに行きたがっている若い女性の情報を掴んだ人間が「社会主義国経由ならモンゴルに入国出来る」と言葉巧みに連れ出したのではないか、そんな想像もあながち的はずれではないだろう。貴美子さんは、出国直後、東ドイツから「近くモンゴルに行ける」という手紙を出している(この手紙自体が北朝鮮への拉致を隠すための偽造ということもあり得る)。北朝鮮のよど号犯の妻となった女性達はもともと犯人の一人と恋人だった者を除いて、全員、主体思想研究会あるいは朝鮮総連と何らかの接点があった。しかし、福留貴美子さんにそのような接点は見つかっていない。 福留貴美子さんは、北朝鮮で岡本武の妻となった。後、日本に密かに帰国(よど号犯妻たちは何度か日本に密かに帰国して活動している)し、友人宅に泊まったりしたことは確認されている。今回の警視庁幹部の証言もそのことを挙げているが、この時、北朝鮮には貴美子さんの子供がおり、言わば人質を取られた状態で、日本で自由に行動できた訳ではない。 福留貴美子さんの拉致については96年8月、朝日新聞がスクープしますが、その2日後、東京新聞に「よど号犯」側のリークによって、「岡本と福留さんは死亡している」という記事が出た。それまでよど号犯グループは、姿を見せなくなった岡本武について、現地の朝鮮人を結婚して朝鮮に帰化し平凡に暮らしているとデマを流していた。この報道後、よど号犯グループは日本に支援組織を通じて、福留貴美子さんの家族に「二人が作業中、死んだ」という手紙を送っているが、実際に福留貴美子さんの「死亡」が確認されたわけではない。 よど号犯グループは、帰国したよど号犯妻や支援者が福留さんの家族に接触し、貴美子さんの死亡届けを出すように工作していた。しかし、母信子さんはそのような要請には一切応じず、外務省に対して真相の究明を求めていた。福留貴美子さんのお母さん、福留信子さんは第二回国民大集会にも参加していたが、2002 年1月12日、娘の生存を信じながらお亡くなりになった。 警視庁は2004年、福留貴美子さんが、渡航制限されていた北朝鮮に必要な申請手続きをせず渡航したとして、旅券法違反容疑で逮捕状を取った。 ![]()
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