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ポスター このブログは北朝鮮による拉致の疑いを排除出来ない、あるいは拉致の疑いが濃厚であるとされる人々、いわゆる「特定失踪者」の方々に関するニュース、情報等を保存する目的で運営されています。「拉致の疑いが濃厚」とされる1000番台の失踪者に関してはそれぞれカテゴリーを作り、関連記事をまとめてご覧いただけます。記事は2003年4月から収集してあります。
拉致問題の遅々たる進展の中で忘れられてしまうのではないか、見捨てられるのではないかという不安を抱えて家族を取り戻すための闘いをされているご家族に思いを馳せていただければ幸いです。このブログは個人(電脳補完録:山本孝司)で運営しているものであり、「特定失踪者問題調査会」様、また各ご家族とは一切無関係です。





特定失踪者の啓発活動を 調査会、救う会が県などに要請
 特定失踪者問題調査会と「救う会神奈川」などは23日、北朝鮮に拉致された可能性がある特定失踪(しっそう)者について積極的な啓発活動をするよう、県と横浜市、横浜地方法務局に要請した。また県警に対し、拉致事件の全容解明と徹底捜査を求めた。
 米国の「北朝鮮人権法」が定めた「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」(12月10〜16日)に合わせた活動。「救う会神奈川」の川添友幸代表は「特定失踪者は、拉致被害者ほど知られていない。啓発して支援を広げたい」と話した。

http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/kanagawa/news/20061024ddlk14040415000c.html


拉致疑い「特定失踪者」問題解決を 家族ら市役所などで協力要請
 北朝鮮による拉致の疑いがあるとされる特定失踪(しっそう)者の家族らが23日、横浜市役所や県警などで、拉致問題の早期解決へ向けた協力や捜査の徹底を要望した。
 訪れたのは、1979年に横浜市内で行方不明になった寺島佐津子さん(当時19歳)や、静岡県浜松市出身で82年に失踪した河島功一さん(当時23歳)ら4人の家族と、「救う会神奈川」(川添友幸代表)のメンバーら11人。
 横浜市役所では、特定失踪者や拉致問題に対する理解を呼びかけるポスターの掲示や、特定失踪者の氏名を市のホームページに掲載することなどを要望。市国際政策室の担当者は「市のイベントなどでポスターを掲示したい」と応じた。
 県庁で記者会見が行われ、川添代表は「(訪問先に)温度差はあるが、前向きに取り組んでもらえることが分かった。今後は特定失踪者への理解を市民に呼びかける活動を広げていきたい」と話した。
 寺島さんの母イツ子さん(73)は「一刻も早い解決を祈っている。前向きな対応を信じたい」、河島さんの母愛子さん(73)は「一日も早い解決を望みます」と訴えた。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kanagawa/news007.htm


大沢さん次兄が神奈川で活動
 北朝鮮に拉致された疑いのある特定失踪(しっそう)者大沢孝司さんの2番目の兄茂樹さん(65)=横浜市=が23日、神奈川県や県警、同市などをそれぞれ訪ね、活動支援や捜査の徹底を申し入れた。
 要請は、同県に関係する他の失踪者3家族や、救う会神奈川(川添友幸代表)と初めて行った。このうち県は、両親が県内に住む横田めぐみさんや孫娘が帰国した場合の支援態勢について「すでに帰国した被害者を受け入れた新潟県と連携したい」としたという。
http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/index.asp?cateNo=1&newsNo=72856


●河嶋 功一 (かわしま こういち)
失踪時期 1982年3月22日
失踪当時の年齢 24歳
失踪した場所 関東・神奈川県横浜市金沢区
失踪当時の身分 大学を卒業したばかりで、浜松に就職も決まっていた。
失踪当時の状況 当日は父親たちが下宿へ荷物を取りに行き、本人は汽車で浜松に帰るため、午前9時半ごろに下宿を出て、50〜60メートル先の角を曲がるところまで見送った。その後、行方不明。当時小雨で、傘1本、電車代と本人の小遣い程度しか持っていない。 (04/3/10第4次発表)

河嶋功一さん関連情報:http://trycomp.org/blog/index.php?c=1-28


●大澤 孝司 (おおさわ たかし)
失踪時期 1974年2月24日
失踪当時の年齢 27歳
失踪場所 新潟県佐渡島新穂村
失踪当時の身分 新潟県佐渡農地事務所勤務
失踪当時の状況 自宅近所の飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。

大澤孝司さん関連情報:http://trycomp.org/blog/index.php?c=1-17


●寺島 佐津子 (てらしま さつこ)
失踪年月日:昭和54(1979)年8月10日
生年月日:昭和35(1960)年7月26日
当時の年齢:19歳
当時の身分:銀行員
失踪場所:神奈川県横浜市戸塚区
失踪状況
失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、夜10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。


●高野 清文 (たかの きよふみ)
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
生年月日 昭和31(1956)年10月31日
性別 男
当時年齢 19
身長 172センチ
公開 第2次公開
当時身分 電気通信大学2年生
特徴 中肉、丸顔鼻低い、口は大きい、眉濃い。
失踪現場 東京都神津島村の民宿から
失踪状況 大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

高野清文さん関連情報:http://trycomp.org/blog/index.php?c=2-34



| 調査会 | 04:54 AM | comments (0) | trackback (0) |
古川了子さんの認定を求める訴訟で安明進氏証言
[調査会NEWS 421(18.10.23)

■古川了子さんの認定を求める訴訟で安明進氏証言

 古川了子さんの拉致認定を求める裁判の次の法廷は、以下の通り行われます。古川さんを915病院で目撃した安明進氏がお姉さんの竹下珠路さんと共に初の証言を行います。安さんの法廷での証言はもちろん今回が初めてです。

日程 11月1日(水)15:00〜

※今回は抽選での入場となります。東京地裁玄関前の「2前」に14:40までに並んだ方に抽選券が交付されるとのことですので傍聴希望の方はこの前までに東京地裁においでください。

場所 東京地裁(霞ヶ関)

内容 証人尋問 安明進氏(元北朝鮮工作員・古川さんの目撃者)
        竹下珠路さん(古川了子さんの実姉)

なお、終了後(16:30前後)、記者会見を兼ねた報告会を開催の予定です。決まりましたらあらためてご連絡します。

特定失踪者問題調査会 http://www.chosa-kai.jp


この裁判では、被告である国側は事実認定には一切踏み込まず言わば「門前払い」を求めていた。しかし、「北朝鮮による拉致・人権問題にとりくむ法律家の会」の弁護士(主任弁護士・川人博)の方々の努力によって前回は荒木和博調査会代表、そして今回、安明進氏の証人喚問にまで進んだ。弁護側は拉致被害者家族である増元照明氏の証人尋問も要求しているがこちらはまだ認められていない。
いわゆる「特定失踪者」とよばれる人々の状況は、かつての横田ご夫妻などと同じ状況である。この人々の中から一人でも「拉致認定」を勝ち取る。突破口にする。重要な裁判である。

| 1000番台::古川了子 | 04:51 AM | comments (0) | trackback (0) |
荒木和博氏の新刊「内なる敵をのりこえて、戦う日本へ」
特定失踪者問題調査会の荒木代表が新刊「内なる敵をのりこえて、戦う日本へ」を上梓されました。現在、Amazonなどで予約受付中です。『戦後の呪縛から解放されるということは、断絶された歴史を繋ぐこと、つまり、戦前の日本と戦後の日本を繋ぐことであるという主題を中心に書いています。そして、解放のためには戦わなければならないということを訴えたつもりです。』とのこと。楽しみです。

電脳補完録 拉致問題解決まで

内なる敵をのりこえて、戦う日本へ(単行本)
荒木 和博 (著)
単行本:240ページ
出版社:草思社 (2006/10/28)
ASIN:4794215355
価格:¥ 1,470 (税込)

| 調査会 | 04:49 AM | comments (0) | trackback (0) |
■安達俊之さんの件について
[調査会NEWS 420(18.10.21)

■安達俊之さんの件について


平成18年10月21日
安達俊之さんの失踪について

特定失踪者問題調査会代表 荒木和博

 本日、昭和56(1981)年6月に、職場の同僚女性と共に失踪した安達俊之さんのご家族・支援者の皆さんが所轄である石川県警鶴来警察署に調査情報を提出した。

 本件は当調査会の発表した「マッピングリスト」の5(アベック・夫婦の失踪)の最新のケースであり、昭和53(1978)年に拉致された政府認定被害者である地村保志さん・富貴恵さん夫妻、蓮池薫さん・祐木子さん夫妻、市川修一さん及び増元るみ子さん、そして高岡市での未遂事件などとも時期的に近く、注目している。

 また、「マッピングリスト」1(目撃証言)の中にも、安達さんは目撃者を匿名として記載されている。この目撃者について、「フライデー」9月29日号は「『特定失踪者安達俊之さんを見た』証言者は地村保志さんだった!」とのタイトルで、この情報について地村保志さんが父親の保さんに語ったものと報道している。

 マッピングリストに記載した目撃情報は基本的に「フライデー」の記事の通りである。ただし、同誌の発行前に地村保志氏から荒木宛に「自分は目撃していない」との連絡が直接あった。

 その後当局の帰国者5人に対する聞き取りで、「記憶していない」との回答に変わっている。話を聞いた人間の受け取り方によってニュアンスが異なる場合もあるので、厳密には分からないが、少なくとも、絶対に見ていないと否定しているわけではないと理解している。したがって、調査会としては、マッピングリスト1への掲載は今後も継続する。

 あわせて、この場を借りて帰国者の皆さんに要望したい。直接・個別にマスコミ、家族会や特定失踪者家族、支援者などに会い、取材、聞き取り等に協力していただくよう、切にお願いする。特殊な事情があることは理解できないわけではないが、このような情報統制を続けていることは自由民主主義国家として異常である。

 また、帰国者5人は「警察にはすべて話した」と言っているのだから、警察及び関係当局もこれを可能な限り明らかにしていただきたい。「捜査の障害になる」というのが公開できない理由ではあろうが、現在拉致問題について捜査権のあるのは警察だけである。そして情報を出さない状態で、政府認定者はわずか16人にしかならない。北朝鮮が拉致を認めた9.17第一次小泉訪朝以後でも、田中実さん1人である。

 当局には「認定した人が拉致でなかったら」という思いがあるのだろうが、当然ながら「拉致被害者を見つけられなかった」責任も問われることを忘れてはならない。曽我ひとみさんの拉致を24年間気づかず、北朝鮮に言われて知ったという失態について、まだ政府機関の誰も責任をとっていないことを、私たちは忘れた訳ではない。今後、「証拠がない」という理由で拉致認定しなかった人が拉致であると分かった場合、当然厳しく責任を追及されるべきであることは明らかである。

 調査会としても、安達さん及び同僚女性の失踪については、重要な事件だと考え、ご家族及び地元支援者、関係機関とも連携の上、新たな情報の掘り起こしをしていきたいと考えている。1000番台リストへの切り替えもその線上で検討していきたい。

特定失踪者問題調査会 http://www.chosa-kai.jp


【マッピング・リスト5 アベック・夫婦の失踪】
中塚節子・A(未登録) 昭和38(1963)年(東京・同じ会社の男性と)
B・C 昭和44(1969)年 (大阪・男性は電電公社職員)
園田一・敏子 昭和46(1971)年  (鹿児島・夫婦)
山口浩一・D 昭和48(1973)年 (青森)
遠山文子・E 昭和48(1973)年 (石川)
三浦和彦・波多野幸子 昭和49(1974)年 (福岡)
※峰島英雄・関谷俊子・遠山常子 昭和49(1974)年(千葉)
申相玉・崔銀姫 昭和53(1978)年 (香港・別々に拉致)
地村保志・浜本富貴恵 昭和53(1978)年 (福井)
蓮池薫・奥土祐木子 昭和53(1978)年 (新潟)
市川修一・増元るみ子 昭和53(1978)年 (鹿児島)
F・G(未遂) 昭和53(1978)年 (富山)
安達俊之・H 昭和56(1981)年 (石川)


【関連記事】
『安達さんを見た』証言者は地村保志さんだった(フライデー)
安達俊之さん関連ニュース一覧


25年振りの重要情報の出元が判明
「特定失踪者安達俊之さんを見た」証言者は地村保志さんだった!

 25年振りに寄せられた情報に、73歳の老母が思わず涙した。
 9月5日、北朝鮮に拉致された疑いのある行方不明者を調べている調査会(特定失踪者問題調査会)が会見を開いた。
 '81年6月、恋人と一緒に失踪した安達俊之さん(当時18)を「北朝鮮で見た」との情報が寄せられたというのだ。
 安達さんの母親・道子さんが語る。
 「当時、俊之は金沢のホテルで働いていました。あの日、私は歯医者に行く用事があったので出勤のときに車で送ってもらったんです。俊之は夕方6時すぎには勤務を終えて友達の家に行き、その後、金沢市内に向けてクルマを走らせていた。助手席には恋人(同じく特定失踪者。名前などは非公開)が乗っていたそうです。これが最後の目撃談でした」
 俊之さんのクルマは紫のスカイライン。目立つ色だが、いまだ発見されていない。
 「ホテルは希望の仕事でしたから、職場が嫌だったわけじゃない。所持金はたった5000円でしたし、家出だとは思えないんです。それに、俊之が行方不明なった3日後にはこんなことがありました。夕方、小さい女のコの声で電話がかかってきたんです。『俊之・・・捕まっているよ』と。たどたどしい日本語でそう話した後、電話は切れました。今回、目撃証言を聞いてビックリしましたが、嬉しかった。これまで何一つ手がかりがなかったんですから・・・。これからの人生に張りが出ました。目撃情報を出してくれた方には感謝の気持ちで一杯です」
 道子さんは何度も涙を拭うのであった。
 この日の会見では、情報提供を受けて、救う会石川(北朝鮮に拉致された日本人を救う会石川県民の会)が8月に石川県鶴来署に捜査を依頼したことも発表されたが、情報源、情報の中身は明らかにされていない。
 本誌はその具体的な中身をつかんだ。
 
「ストップがかかった」

 記者の手元に2枚のメモがある。
 救う会から鶴来署に提出された内部資料と同じ内容である。概略を紹介しよう。
<地村保志さんが安達俊之さんの高校時代の写真を見て『北朝鮮でよく似た人を見た』と(父親の)保さんに話した>
<安達さんらしき人物と会ったのは平壌の売店で、夫婦だった。監視がついていたので話すことは出来なかったが、何度も目撃している。会った住所も言える。他にも日本人を多数見ている>
<証言してくれるよう頼んだが、『公表すると北朝鮮にいる拉致された人の身に危険が及ぶ』との理由で拒否している。政府や警察には話してあり、時が来たらすべて話すといっている>
 安達さんを見た時期は不明ながら、保志さんが具体的な目撃証言をするのは今回が初めて。また、情報の出元がシッカリしている分、証言の確度も高い。
 本誌は早速、事の真相を聞くべく、福井県小浜市内に拉致被害者・地村保志さん(51)の父親・保さんを訪ねた。
 彼は事実関係を素直に認め、記者にその背景を語るのであった。
 「保志に安達さんの写真を見せたのは、今年6月5日の夜7時ごろ。場所はやっちゃん(保志さんの愛称)の自宅やった。夕食時で、台所でフキちゃん(保志さんの妻・富貴恵さん)と娘が夕飯の用意しとった。写真はやっちゃん一人で見た。そしたら、メモの通りに話し出したんや。『大勢(日本人が)いたから、ハッキリいえんけど、よく似た人を見た』と。女性の写真も渡したけんど、こっちは回答がなかったから、置いてきた」
 取材を終え、記者が保さんと食事へ出ようとすると、立て続けに彼の携帯が鳴るのであった。
 「保志からや。フライデーの記者の電話番号を教えてほしい、と。家に帰ったら教えると話した。やっちゃんは『拉致被害者からの目撃談にしてほしい』と話しとった。『僕の名前を出すのはマズい』いうとったワ」
 そうこうしているうちに、今度は記者の携帯電話が鳴り出した。
 保志さんからであった。
 「親父がいろいろしゃべっているようですが、僕は安達さんの写真も見ていない。だから記事にしないで下さい。調査会の荒木さん(和博・代表)にも電話で同じことを話しました」
 その荒木代表はこう見ている。
 「保志さんは、これまでマスコミが何を書いても流していた。今回も、いくら安達さんが手紙や写真を送っても返答しなかったのに、フライデーさんが保さんを取材したとたん、電話してきた。何者かからストップがかかったのでしょう。それだけの情報だということ。今回の件をキッカケに、彼ら帰国した拉致被害者が証言しやすい環境作りに力を入れたい」
 保さんの声のトーンがあがる。
 「安達さんのお母さんの手紙を読んだら、かつでのワシと一緒やった。彼女も25年間、辛い思いをして生きとるんや。ワシは何度も、やっちゃんに言うてる。『知ってる情報は公表せなアカン。親はワラにもすがりたい気持ちなんやぞ』と。帰国時に北朝鮮と約束しとるんやろうけど、アイツは日本人なんやから・・・」
 証言を出すタイミングなど、政府にも戦略はあるだろう。だが、安達さんの涙はあまりに重く、悲しい・・・。

FRIDAY 9月29日号


| 0番台::安達俊之 | 08:17 AM | comments (0) | trackback (0) |
「しおかぜ」写真展松山で開催
[調査会NEWS 419(18.10.18)より

 現在調査会では「しおかぜ」のメッセージと失踪者(政府認定拉致被害者を含む)の写真を組み合わせたパネルを作成しています。これは12月の北朝鮮人権侵害問題啓発週間に写真展を行うために準備しているものですが、今回その一部が救う会愛媛主催の写真展で展示されます。パネルは製作予定約90枚のうち39枚が本日完成し、直ちに松山に送られました。松山では救う会作成の写真(政府認定者)とあわせて下記の日程で展示される予定です。

 今後特定失踪者問題調査会で作成したパネルは説明用のパネルなども整え、「しおかぜの韻(ひびき)」(仮称)として各地で展示を行います。

北朝鮮に拉致された日本人を救出するための写真展

第1会場:フジグラン松山(松山市宮西1-2-1) 
期間:10月21(土)〜10月26日(木)
(午前10時〜午後6時)*最終日は午後3時まで。

第2会場:愛媛県庁第一別館ロビー
期間:10月23日(月)〜10月26日(木)
(午前8時30分〜午後6時)*最終日は午後5時まで。

特定失踪者問題調査会 http://www.chosa-kai.jp



救出を願い写真展 県内開催を前に家族ら記者会見
「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための写真展」(救う会愛媛、愛媛拉致議連、大政由美さん連絡会主催)が、松山市宮西1のフジグラン松山店(21〜26日)と県庁第1別館ロビー(23〜26日)で行われる。開催を前に16日、「救う会愛媛」の中矢民三郎会長と、特定失そう者のうち3人の家族らが県庁で記者会見を開いた。
 中矢会長によると、拉致問題に関する写真展は県内初。12月10〜16日の「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」行事の一環で、拉致被害者らの写真約70点を2会場に分けて展示する。
 91年3月、韓国旅行中に失そうした大政由美さん(当時23歳、三重大研究生)の母悦子さん(65)は北朝鮮の核実験に対する国連制裁決議に触れ、「人道上の問題という形で拉致に関する文言が入り、国際社会も取り組んでくれるのかと喜んでいます」と語った。また62年9月ごろ東京で失そうした二宮喜一さん(当時24歳、会社員)の姉、森八千代さん(73)は「1枚1枚の写真に、家族の万感の思いが込められています。多くの方々に関心を持っていただきたい」と訴え。71年に今治市で失そうした山下綾子さん(当時28歳、看護師)のいとこ、長島清志さん(72)は「被害者も家族も相当な年齢に達しました。安倍政権には早期解決を期待したい」と語った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061017-00000284-mailo-l38


氏名:大政 由美
ふりがな:おおまさ ゆみ
失踪年月日:平成3(1991)年3月28日
生年月日:昭和42(1967)年4月5日
性別:女
当時の年齢:23
身長:150センチ
当時の身分:三重大学研究生
特徴:下唇の下に縫合跡(2才6カ月の時5針くらい)
失踪場所:韓国慶州市
失踪状況
同年3月に三重大を卒業。考古学専攻。3月27日夜、慶州ユースホステルにチェックインし、翌朝10時に荷物を置いたまま外出し、その後消息不明。現地、慶州警察署で捜索。1991年3月〜94年10月の間に数回無言電話。正確な日付は不明だが、午後から夕方にかけてがほとんど。受話器を取ると人の息、生活音も聞こえず受話器を置くまで一言も話さない。


氏名:二宮 喜一
ふりがな:にのみや よしかず
失踪年月日:昭和37(1962)年9月頃
生年月日:昭和13(1938)年1月15日
性別:男
当時の年齢:24
身長:156〜7センチ
体重:52キロ
当時の身分:会社員・夜は専門学校生
特徴:やせ形・面長。
失踪場所:関東・東京都品川区
失踪状況
「ちょっと頭を冷やしに十和田湖に行ってくる」とメモを残して失踪。1ヶ月位後に下宿先から「帰ってこないが、実家に帰っていないか」と家族に連絡が来た。将来は無線通信士を目指していた。


氏名:山下 綾子
ふりがな:やました あやこ
失踪年月日:昭和46(1971)年4月
生年月日:昭和17(1942)年9月20日
性別:女
当時の年齢:28
当時の身分:看護師
失踪場所:愛媛県今治市
失踪状況
4 月のある日、自宅から出たまま行方不明となった。翌日、国鉄今治駅(当時)に自転車が置いたままになっているのが発見される。自宅から勤務先の病院には自転車で通勤しており、鉄道は使っていなかった。またその病院も失踪一週間前に自らやめていたことがあとからわかった。自転車の前カゴに桜の小枝が一本入っていた。普段着のままの外出で、家には預金通帳・印鑑などがそのまま残っていた。

| 調査会 | 04:47 AM | comments (0) | trackback (0) |

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